今月初めのこと、とあるお寺の参道にそった門前の蕎麦屋さんに入った。他にも小奇麗な食堂も、1、2軒はあったのだが、何故かその店に入った。昼時を少しまわっていたので、空腹感もあり とりあえずの気持ちで、ガラガラとガラス戸をあけた。ちょうど食べ終わった帰りがけの客の中年女性が出るところで、今なら引き返して他の店ヘ行く事もと一瞬考えたが、そのまま手近なテーブルの椅子にかけた。
開店以来、手をかけて無さそうな たたずまいは、どこに目をやっても薄汚れて見える。白髪交じりの中老の主人がカウンターの中にいて、奥さんらしきひとが、今出て行った客の盆と食器を下げて、カウンター脇の階段の三段目に置いた。
コンクリートの土間に、テーブルが二つに、それぞれに椅子が四脚。あと壁にそって細長い座席に、薄い座布団が四、五枚並んでいる。席がいっぱいになったり、行列のできる心配など無縁でこれで充分な広さ、夫婦二人でその日その日の店商い。この先も改装してまで、客を入れる事を考える余裕はなさそう。
開店時の、千客万来の額は贈り主の人たちの連名で、浮き文字がすすけてみえる。その下の棚にアルミの灰皿が十枚ほど重ねてある。
聞かれて親子丼を、注文する。ややあって、盆にのった親子丼と、小皿のたくあんと青菜の漬物、お茶がテーブルに運ばれた。白い小皿は、周りが かけかけで一方の端がぎざぎざしている。
ところが、割り箸で口に運んだ丼の中身は、予想外の美味。
ん~ま。 蕎麦屋さんだけあって、だしがいいのか。
お茶を、注ぎ足してくれた急須が、これもアルミで蓋や周りが黄色くなっている。洗ってはいるのだろうが、永年の汚れが落ちないのであろう。ともかく、どれもが薄汚れたと言う印象はぬぐえない。しかし不潔とか、不衛生と言うのでも無さそうなのでおいしく頂けた。
よく民家を移築して、柱など磨き上げて、煤竹や杉戸の古びた時代を感じさせる建具で、ものを食べさせるお店があるが、そういった所の、対極にある このお蕎麦屋さんは、永年の汚れがこびりついた安普請が、妙に私を落ち着かしてくれた。
お店の人に言葉を交わすこともなく、小半時 丼を味わってゆっくりとして表に出た。
二月ながら、今年は暖かく なんだか癒された気持ちのまま、寺とは反対の方向に所用を済ますために歩んだ。