今朝、ファックスが届いた。昨年天に召された鶯姫からだった。
勝手に鶯姫って呼んだら「私は球場の鶯嬢なわけ?」って笑いながら「三番、バッター・・・。」って本当にふざけている声が聞えそうだけど、彼女はアマチュアながら朗読で舞台にも立っていた事があるし歌声は軽やかで上品な素敵なソプラノだったっけ。
ずっと以前に私がまだ地声で歌わずに裏声で歌っていた頃、とある場所で私達二人が歌っているのを「金の鈴と銀の鈴」って言ってくれた人があったけど(ちょっとだけ自慢・笑)彼女の声は本当に金の鈴の音のようだった。あ~あ、今の私はひびの入った土鈴だなぁ・・・なんて思ってたらたまらなく会いたくなって、遺影に向って手を振って、ついでに“あっかんべ~”もしてきた。(こらっ!)
さて、そのファックス、舞台で役者をしている彼女の息子のエッセイが新聞に載ったという内容だった。
実は彼女が逝ってしまってしばらくしてから、彼女の名前で天国からファックスが届いた。彼女の愛した息子の近況を、やはり彼女が愛したご主人が、亡き妻の名前で私達に届けてくれた物だった。
彼女の息子の最新のエッセイはこの事について触れてあったので、朝からどうにも涙が止まらなくて、隣のかぁちゃんの家に行くのに、耳を澄ませて階段の上り下りをする人がいない事を確かめてからダッシュせねばならない始末で、どうにも困った。近頃涙腺の締りが悪くてどうにもこうにも(苦笑)
でも、それは悲しいばかりの涙じゃない。思いもよらず突然に、会いたくてたまらなかった人に出会えたような、そんな“胸きゅん”なちょっと幸せな涙。
会えない事は、それでその人の全てが終わった訳じゃなく、同じ面影を愛しむ人達によって今も現実に生き続けているものなのだ。時には優しい嘘から本当に息づかいが耳元で聞えるような幸せな錯覚を覚える事もできる。だから、残された者たちは笑顔を取り戻せるのかもしれない。
この世に生きているのに会えない人だっているのに「生きている」事を信じているだけで悲しくない。いつかもしかしたら会えるかもしれないって夢見れる、そんな思いに似ているかもしれない。・・・こんな、少し御伽噺のような現実がふわりとした彼女に似合っていて、悲しいけど嬉しい。
やがて必ず自分も“残して行く者”となる。
かぁちゃんの引越しをきっかけに、三年近くたまりにたまった書類や、小間物、手芸材料の整理を始めた。少しは身辺整理を始めないと収集がつかなくなっている事凄まじく・・・。このままでは何かあった時に白い目で見られそうだ(苦笑)ヤッバイよマジで!!・・・ん~、手芸材料なんて一生分ありそうだ。
その中には全くお洒落に感心のない私を憂いて(笑)元気な頃に鶯姫がくれた可愛い小物や生地類がいくつもある。その時々に話した事や笑顔を思い浮かべて、やっぱり涙が溢れてくる。・・・私は元気だよ。
そんな感傷に浸りながら、かぁちゃんの家の玄関を開けると、ほんの30分目を離していただけなのに、またしても一反もめんがひらひらといるではないか~っ!トイレからベッドの側まで延々と、出発点はぁかちゃんの右手。ぐるぐるぐるとトイレットペーパーを巻きつけて・・・いやぁ、それにしても、よくまぁ途中で破けずにいたものだと変な所で感心してしまった。
楽しい現実はここに有り!!
勝手に鶯姫って呼んだら「私は球場の鶯嬢なわけ?」って笑いながら「三番、バッター・・・。」って本当にふざけている声が聞えそうだけど、彼女はアマチュアながら朗読で舞台にも立っていた事があるし歌声は軽やかで上品な素敵なソプラノだったっけ。
ずっと以前に私がまだ地声で歌わずに裏声で歌っていた頃、とある場所で私達二人が歌っているのを「金の鈴と銀の鈴」って言ってくれた人があったけど(ちょっとだけ自慢・笑)彼女の声は本当に金の鈴の音のようだった。あ~あ、今の私はひびの入った土鈴だなぁ・・・なんて思ってたらたまらなく会いたくなって、遺影に向って手を振って、ついでに“あっかんべ~”もしてきた。(こらっ!)
さて、そのファックス、舞台で役者をしている彼女の息子のエッセイが新聞に載ったという内容だった。
実は彼女が逝ってしまってしばらくしてから、彼女の名前で天国からファックスが届いた。彼女の愛した息子の近況を、やはり彼女が愛したご主人が、亡き妻の名前で私達に届けてくれた物だった。
彼女の息子の最新のエッセイはこの事について触れてあったので、朝からどうにも涙が止まらなくて、隣のかぁちゃんの家に行くのに、耳を澄ませて階段の上り下りをする人がいない事を確かめてからダッシュせねばならない始末で、どうにも困った。近頃涙腺の締りが悪くてどうにもこうにも(苦笑)
でも、それは悲しいばかりの涙じゃない。思いもよらず突然に、会いたくてたまらなかった人に出会えたような、そんな“胸きゅん”なちょっと幸せな涙。
会えない事は、それでその人の全てが終わった訳じゃなく、同じ面影を愛しむ人達によって今も現実に生き続けているものなのだ。時には優しい嘘から本当に息づかいが耳元で聞えるような幸せな錯覚を覚える事もできる。だから、残された者たちは笑顔を取り戻せるのかもしれない。
この世に生きているのに会えない人だっているのに「生きている」事を信じているだけで悲しくない。いつかもしかしたら会えるかもしれないって夢見れる、そんな思いに似ているかもしれない。・・・こんな、少し御伽噺のような現実がふわりとした彼女に似合っていて、悲しいけど嬉しい。
やがて必ず自分も“残して行く者”となる。
かぁちゃんの引越しをきっかけに、三年近くたまりにたまった書類や、小間物、手芸材料の整理を始めた。少しは身辺整理を始めないと収集がつかなくなっている事凄まじく・・・。このままでは何かあった時に白い目で見られそうだ(苦笑)ヤッバイよマジで!!・・・ん~、手芸材料なんて一生分ありそうだ。
その中には全くお洒落に感心のない私を憂いて(笑)元気な頃に鶯姫がくれた可愛い小物や生地類がいくつもある。その時々に話した事や笑顔を思い浮かべて、やっぱり涙が溢れてくる。・・・私は元気だよ。
そんな感傷に浸りながら、かぁちゃんの家の玄関を開けると、ほんの30分目を離していただけなのに、またしても一反もめんがひらひらといるではないか~っ!トイレからベッドの側まで延々と、出発点はぁかちゃんの右手。ぐるぐるぐるとトイレットペーパーを巻きつけて・・・いやぁ、それにしても、よくまぁ途中で破けずにいたものだと変な所で感心してしまった。
楽しい現実はここに有り!!