妹達がやって来て、私に「睡眠時間」のプレゼントをくれた。
中学生になった自閉症の甥っ子が「おばちゃん、ハッピバースデイしよう!」とケーキの蝋燭に火が灯るのを待ちきれないようにあちこちの照明を消してまわり、私の腕をひしっと掴んで、たどたどしいが大きな声で歌ってくれる。彼の濡れた瞳の中に蝋燭の灯りがキラキラと輝いて、おばちゃんはそちらの方が嬉しかったよ。
家が広くなって、妹達親子がちゃんと人数分の布団を敷いて眠る事が出来るようになったのが姉としてはとても嬉しい。
かぁちゃんが隣の住人になってから、我が家の者達の出入りが多くなった。
やっと、私一人じゃないと、少しばかり家族みんながアルツハイマーやパーキンソンという病と向き合う体制が出来つつあるのかもしれないと、希望の光が見えてきたような気がするが、それとは逆に日常起きる様々な出来事は、そんな事はおかまいなしに、ある時は緩やかに、ある時は突然にやって来て心を乱し、時にはしたたかに打ちのめしてくれる。何故?どうして?と繰り返す疑問には回答は準備されていない。きっと一生問い続けていかなければならないのだろう。
休日の朝、背の君がやって来て「おかぁさん、朝ごはんはちゃんとたべましたか?」とかぁちゃんに問いかけると、しばらく彼の顔をじっと見つめて、得意の「うふふ。」で笑っていたけれど、ふいに悲しそうに首を横に大きく振った・・・。きっと食べた事を忘れてしまったのだろう。やがて昼食をお盆に乗せて机に置くと、かぁちゃんは顔をくしゃくしゃにして涙をこぼした。箸を持つ手がふるふると震えている・・・そんなに嬉しかったんだね。きっと随分久しぶりの食事だと思ったに違いない。
これまで積み重ねてきた人としての尊厳を徐々に失ってしまっても、勿論、失っていく過程ではとても苦しんだのだろうけれど、今は穏やかに時の流れるままにただ生きている・・・そんなふうな人生もある。鶯姫のように痛みや苦しみと最期まで戦う人生もある。生きたいと願いながら生きる事が許されない人生もあり、ある日突然に奪われる人生もある。そしてそれぞれを見守り続ける役割の人生もある。
ひとそれぞれが持っている命の重さはどれも同じだと思っている。けれど、その命がこの世で経験する事の重さは・・・そんなの不公平だよ!と叫びたい衝動にかられる事もある。「何故?」と行き場のない思いに身を振るわせる事もある。それは怒りに近い。
10年前、義兄が逝ってしまった。病名を告げられてから半年。45歳だった。
義兄の下の娘、姪っ子が同じ病で昨日逝ってしまったという。
・・・まだたった20歳じゃないか。
義姉は、姉の姪っ子は、今この時、この夜をどれほどの思いで過ごしているのだろうと思うと、かける言葉もない。・・・・・悔しい。
中学生になった自閉症の甥っ子が「おばちゃん、ハッピバースデイしよう!」とケーキの蝋燭に火が灯るのを待ちきれないようにあちこちの照明を消してまわり、私の腕をひしっと掴んで、たどたどしいが大きな声で歌ってくれる。彼の濡れた瞳の中に蝋燭の灯りがキラキラと輝いて、おばちゃんはそちらの方が嬉しかったよ。
家が広くなって、妹達親子がちゃんと人数分の布団を敷いて眠る事が出来るようになったのが姉としてはとても嬉しい。
かぁちゃんが隣の住人になってから、我が家の者達の出入りが多くなった。
やっと、私一人じゃないと、少しばかり家族みんながアルツハイマーやパーキンソンという病と向き合う体制が出来つつあるのかもしれないと、希望の光が見えてきたような気がするが、それとは逆に日常起きる様々な出来事は、そんな事はおかまいなしに、ある時は緩やかに、ある時は突然にやって来て心を乱し、時にはしたたかに打ちのめしてくれる。何故?どうして?と繰り返す疑問には回答は準備されていない。きっと一生問い続けていかなければならないのだろう。
休日の朝、背の君がやって来て「おかぁさん、朝ごはんはちゃんとたべましたか?」とかぁちゃんに問いかけると、しばらく彼の顔をじっと見つめて、得意の「うふふ。」で笑っていたけれど、ふいに悲しそうに首を横に大きく振った・・・。きっと食べた事を忘れてしまったのだろう。やがて昼食をお盆に乗せて机に置くと、かぁちゃんは顔をくしゃくしゃにして涙をこぼした。箸を持つ手がふるふると震えている・・・そんなに嬉しかったんだね。きっと随分久しぶりの食事だと思ったに違いない。
これまで積み重ねてきた人としての尊厳を徐々に失ってしまっても、勿論、失っていく過程ではとても苦しんだのだろうけれど、今は穏やかに時の流れるままにただ生きている・・・そんなふうな人生もある。鶯姫のように痛みや苦しみと最期まで戦う人生もある。生きたいと願いながら生きる事が許されない人生もあり、ある日突然に奪われる人生もある。そしてそれぞれを見守り続ける役割の人生もある。
ひとそれぞれが持っている命の重さはどれも同じだと思っている。けれど、その命がこの世で経験する事の重さは・・・そんなの不公平だよ!と叫びたい衝動にかられる事もある。「何故?」と行き場のない思いに身を振るわせる事もある。それは怒りに近い。
10年前、義兄が逝ってしまった。病名を告げられてから半年。45歳だった。
義兄の下の娘、姪っ子が同じ病で昨日逝ってしまったという。
・・・まだたった20歳じゃないか。
義姉は、姉の姪っ子は、今この時、この夜をどれほどの思いで過ごしているのだろうと思うと、かける言葉もない。・・・・・悔しい。