『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

こころ、元気かな?

2006年06月26日 17時11分10秒 | 気付かなかった罪
「気付かなかった罪:番外編」その一

「お~い、元気かぁ?」
三日とあけず息子の携帯にメールを入れるようになってから、1年以上が過ぎた。

いつも飄々として、親にはなかなか弱音をはかない息子が家を出てから3年近く。
一人暮らしを経験するには決して早すぎる年齢でもないが、
無理をすれば通えない距離でもなく、経済的に余裕がある訳では決してなかったので、
「食費分しか出せないぞ!家賃が自分で払えるならやってみろぃ!」と言ったら
さっさと勝手に下宿を決めて来た。

サークル活動に情熱を燃やし、何をしに大学へ行ったのやら・・・と言う生活に
無理なアルバイトを重ねる生活は彼にとって親が思うほど簡単ではなかったようで
去年の冬、「俺、ずっと調子悪くて、医者に行ったら抗欝剤出された。」・・・。
まるで人事の様に淡々と告げられたのは、さださんのコンサートに向う途中だった。
チケットはいつも彼が私の分も予約する。(出費はこちらだが・・・複雑~)
彼なりの親孝行のつもりらしいが、それにしても、ちょいとあんた・・・。
それって穏やかではないんじゃないの?

とは言え、最初はあまりにも飄々としているので、脳天気な母親は
「単位が取れてないから、大袈裟に病人ぶってんじゃないの~?ば~か。」
くらいにしか思っていなかったのだが、まさか学校に行けない程追い込まれていたとは。
ふとした時に、彼の表情の変化を目の当たりにした時に、初めて事の深刻さを理解した。
またしても私は「気付かない」という余りにも愚鈍な過ちを犯してしまった。
何よりも大切な我が子に・・・。

かぁちゃんやぺこちゃんに、気持ちも手も取られる事は言い訳にはならない。
子供達の事を何の根拠もなく安心しきって、気付こうともしなかった愚かな自分。
「どうしようもなくなる前に、何故言わなかったのだ?」と腹立たしく思ったが、
“言えない環境”を造り上げてしまっていたのは私自身だった。

私の性格の一部分として、目の前で見えない事には非常に冷たくなってしまう。
ましてや、自分で決めて出ていったのだから勝手に生活して当然だと突き放してきた。
彼の下宿先へも、引越しの当日以来行った事はなかったが、
ようやく危険信号を察して、昨年暮れに彼の住まいを訪ねた時に愕然とした。
彼が私が行く事を抵抗し続けていた理由も分かる。
元々片づけが苦手な奴だが、散らかしよう、汚しようの種類が違った。
「どうしてここまで、放っておいてしまったんだろう・・・。」
最初不機嫌だった彼は、やがて部屋の隅っこでとろとろと眠ってしまって起きなかった。
SOSを出さない事をいい事に、何て事をしてしまったのだと
片付けながら、涙が溢れてどうしようもなかった。馬鹿な親だ、全く。

それから毎月一度は「行くぞ~っ!!」と押しかけお掃除おばさんになった私。
相変わらず、優しい言葉はくすぐったくてかけれないけれど(そういう親です)
「放ってはおかないぞ!!」という無言の強制感情は伝わっているようには思う。
少しずつ素直になって、少しずつ、ヤバイ時にはSOSらしきものを発信するようになった。
おかげで、ゴスペルへはほとんど行けなくなってしまったけれど、
まぁ、こんな時期もあって良いかな・・・。

他人様から見れば、成人した息子に甘いと思われるかもしれないが
私は、手のつけられない程手遅れになりたくはない。もう二度と。
先程突然帰って来たのは、少々しんどいのだろうが、まぁ表情は悪くない。

「腹減った。」
「何、食う?」
「うどんある?」
「ちょいと待ってよ。ねぎはないけどいいかい?」
「あ?いいよ。」

(優しい母は)かつおぶしと昆布で出汁を取り始める・・・。
そんな接し方しか出来ないけど、それはそれで諦めてくれるだろう。
母は、間もなく日常に戻る。当たり前の日常。これ以上の事は出来ないけれど、
「元気かい?心も体も?」っていつも思ってる。
・・・なんて~事をここで言っても通じはしないだろうけど(苦笑)
でも、まぁ、いくつになっても私はあんたの、あんた達の母親だからね~っ!!






コメント (3)
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