【「祭り」の効能】
リセットついでに、良い機会なので、ちょっと過去を振り返ってみます。
この夏、またしても壊れるかと思ったけど壊れなかった事を記念して
何度か過去にも触れている事と重複いたしますが、しばし、お付き合いくださいませね。
もう5年以上前の話になりますかねぇ・・・。
田舎の一人暮らしが無理になって来たかぁちゃんが、正月開けに近所に越してきて、
改めて以前とは全く違ってしまった言動に驚きつつ、単に欝のせいだと思い込んで
朝早くから深夜まで、30分置きにかかる電話に辟易していた頃の事で
3月にぺこちゃんの工場から電話があり、他の選択肢もないままに同居の運びとなった時、
5月の「その時」を前に、結婚してから一度も家を空けた事がなかった私は
もう、私の自由な時間はないのだと覚悟を決めて
それこそ、最初で最期のつもりで一泊のひとり旅を試みた。
30年以上私を支え続けてくれている友人が、
横浜の憧れのヨットの帆型のホテルを手配してくれて、そこで至福の時を過ごし、
翌日、学生時代の友人と東京で会って、その後一人で東京の街をうろついて大冒険を終えた。
「最初で最期」と言う思いが強くて、どうにかすると涙がこぼれそうで、
食事が終わるものそこそこに、トイレに逃げ込んで涙をぬぐうなんて失礼な事をしてしまったり、
まぁ、何と言いますか・・・純粋だった訳ですよ、この頃はまだ
そうする事で「さぁ、がんばろう!!」と自分で自分に言い聞かせたのだけれど、
実際、かぁちゃんとぺこちゃん中心の日々になってみると、
予想外、想定外の事の応酬で、何ヶ月もしないうちに完全にまいっちゃった
柔な私には、荷が重すぎた・・・出来ると思ったんだけどなぁ
脳天気に過ごす事は得意だったのに、
突然、目の前に四方から立ちふさがった壁・・・違う、壁じゃなかった。
ビニールの全身タイツを履かされたような感じ??(全身タイツは未経験だけど)
ともすれば、口をついて出そうになる叫び声を噛み殺す事にエネルギーを使い、
四六時中、付き纏う息苦しさ・・・息が吸えない様な錯覚に悩まされていた。
今思うと、何でだぁ??なのだけど・・・実際物理的には今の方がキツイし。
「助けて!」・・・と言う言葉がその時の思いに一番近いかな・・・。
で、ある日突然、その「助けて」を二度とは戻らない過去に求めてしまった。
過去を探り当てるために、初めてパソコンに手を染めたのもこの頃。
現実で起きている事が実感として捉えられないような、
いつも頭の中に膜が張っているようで、目の前の風景に奥行きが見えない。
もしかしたら「狂う」ってこういう風になるのかな?と、どこか冷静だったりもしたけど。
「過去」が「過去」なんだと、そんな当たり前の事を思い知らされた頃、
一人になれる場所を探して、ただただ泣いた。
毎日そうしなければならないと決められているように、布団を被って大声で泣き喚いた。
泣き場所を探していただけだったんだ・・・ってしばらくしてから気付いたけど。
泣けるって素晴らしいと思うのですよ・・・泣く事で随分楽になったもの。
それからしばらくして、ぺこちゃんのデイサービスの利用が出来るようになり、
かぁちゃんの病名がはっきりした事から、
薄皮をめくるように、少しずつ元の自分を取り戻してはいったのだけど、
それでも、いつもの生活から逃げ出したい誘惑は常にどこかでちらりほらり・・・。
だってね、やっぱり全てから逃げ出したい気持ちは消え去る事はないのだもの。
はっきり言ってしまうと、二人の顔の見えない、存在の気配のない場所が欲しかった。
我儘と思われようが、無責任だと思われようが、とにかく一人になりたかった。
そこで出会ったのが、その頃ネットで知り合った方達とのちょっとした歌のイベント。
ただ現実を離れて、一人になりに行くんじゃなくって、
目的が出来たって事が、多分その頃の私には一番救いになったのだと思う。
参加するために準備をしなければならない事がある。と言うのは
自分の気持ちをそれ以上、落ち込ませない為には十分な刺激になったから。
それが今回で5回目
最初の頃は「その場にすがっていた」ので、終わってからの喪失感は半端じゃなかったけど、
「次がある!」と言う思いは、何にも増して私を奮い立たせてくれた。
そういう場所を、我儘を通して作れたって事は感謝してもし尽くせない。
でもね、近頃頓に思うのですよ・・・。
もしも、かぁちゃんとぺこちゃんとの生活がなかったら、
絶対たどり着かなかった「祭り」だったんだなぁって。
二人とも、ありがとね・・・なんて事はまだ言えないけれどね
多分・・・多分、これまでの「祭り」は今回で終わり。
その場に応じて二種類のハンドルネームで呼ばれる事にもすっかり慣れてしまったけれど、
「祭り」の時の自分と本当の自分をそろそろ一緒にしてもいい頃かな・・・
なんて思い始めてる。
え?「祭り」を止めるんじゃないですよ。
「祭り」を特別な物じゃなくするって事です。
いつも「祭り」の準備をし続けるって事かな・・・?・・・身が持たないか?(笑)
訳のわからない事を長々と綴ってしまってごめんなさい。
何だろう、現実が変わった訳じゃないのに、心が澄んでいる。
その思いを留めておきたくて・・・。
ところで、誰か一緒に歌いに行ってはくれませんかね?
・・・結局、そこかよ~っ!!って話です
リセットついでに、良い機会なので、ちょっと過去を振り返ってみます。
この夏、またしても壊れるかと思ったけど壊れなかった事を記念して
何度か過去にも触れている事と重複いたしますが、しばし、お付き合いくださいませね。
もう5年以上前の話になりますかねぇ・・・。
田舎の一人暮らしが無理になって来たかぁちゃんが、正月開けに近所に越してきて、
改めて以前とは全く違ってしまった言動に驚きつつ、単に欝のせいだと思い込んで
朝早くから深夜まで、30分置きにかかる電話に辟易していた頃の事で
3月にぺこちゃんの工場から電話があり、他の選択肢もないままに同居の運びとなった時、
5月の「その時」を前に、結婚してから一度も家を空けた事がなかった私は
もう、私の自由な時間はないのだと覚悟を決めて
それこそ、最初で最期のつもりで一泊のひとり旅を試みた。
30年以上私を支え続けてくれている友人が、
横浜の憧れのヨットの帆型のホテルを手配してくれて、そこで至福の時を過ごし、
翌日、学生時代の友人と東京で会って、その後一人で東京の街をうろついて大冒険を終えた。
「最初で最期」と言う思いが強くて、どうにかすると涙がこぼれそうで、
食事が終わるものそこそこに、トイレに逃げ込んで涙をぬぐうなんて失礼な事をしてしまったり、
まぁ、何と言いますか・・・純粋だった訳ですよ、この頃はまだ
そうする事で「さぁ、がんばろう!!」と自分で自分に言い聞かせたのだけれど、
実際、かぁちゃんとぺこちゃん中心の日々になってみると、
予想外、想定外の事の応酬で、何ヶ月もしないうちに完全にまいっちゃった
柔な私には、荷が重すぎた・・・出来ると思ったんだけどなぁ
脳天気に過ごす事は得意だったのに、
突然、目の前に四方から立ちふさがった壁・・・違う、壁じゃなかった。
ビニールの全身タイツを履かされたような感じ??(全身タイツは未経験だけど)
ともすれば、口をついて出そうになる叫び声を噛み殺す事にエネルギーを使い、
四六時中、付き纏う息苦しさ・・・息が吸えない様な錯覚に悩まされていた。
今思うと、何でだぁ??なのだけど・・・実際物理的には今の方がキツイし。
「助けて!」・・・と言う言葉がその時の思いに一番近いかな・・・。
で、ある日突然、その「助けて」を二度とは戻らない過去に求めてしまった。
過去を探り当てるために、初めてパソコンに手を染めたのもこの頃。
現実で起きている事が実感として捉えられないような、
いつも頭の中に膜が張っているようで、目の前の風景に奥行きが見えない。
もしかしたら「狂う」ってこういう風になるのかな?と、どこか冷静だったりもしたけど。
「過去」が「過去」なんだと、そんな当たり前の事を思い知らされた頃、
一人になれる場所を探して、ただただ泣いた。
毎日そうしなければならないと決められているように、布団を被って大声で泣き喚いた。
泣き場所を探していただけだったんだ・・・ってしばらくしてから気付いたけど。
泣けるって素晴らしいと思うのですよ・・・泣く事で随分楽になったもの。
それからしばらくして、ぺこちゃんのデイサービスの利用が出来るようになり、
かぁちゃんの病名がはっきりした事から、
薄皮をめくるように、少しずつ元の自分を取り戻してはいったのだけど、
それでも、いつもの生活から逃げ出したい誘惑は常にどこかでちらりほらり・・・。
だってね、やっぱり全てから逃げ出したい気持ちは消え去る事はないのだもの。
はっきり言ってしまうと、二人の顔の見えない、存在の気配のない場所が欲しかった。
我儘と思われようが、無責任だと思われようが、とにかく一人になりたかった。
そこで出会ったのが、その頃ネットで知り合った方達とのちょっとした歌のイベント。
ただ現実を離れて、一人になりに行くんじゃなくって、
目的が出来たって事が、多分その頃の私には一番救いになったのだと思う。
参加するために準備をしなければならない事がある。と言うのは
自分の気持ちをそれ以上、落ち込ませない為には十分な刺激になったから。
それが今回で5回目
最初の頃は「その場にすがっていた」ので、終わってからの喪失感は半端じゃなかったけど、
「次がある!」と言う思いは、何にも増して私を奮い立たせてくれた。
そういう場所を、我儘を通して作れたって事は感謝してもし尽くせない。
でもね、近頃頓に思うのですよ・・・。
もしも、かぁちゃんとぺこちゃんとの生活がなかったら、
絶対たどり着かなかった「祭り」だったんだなぁって。
二人とも、ありがとね・・・なんて事はまだ言えないけれどね
多分・・・多分、これまでの「祭り」は今回で終わり。
その場に応じて二種類のハンドルネームで呼ばれる事にもすっかり慣れてしまったけれど、
「祭り」の時の自分と本当の自分をそろそろ一緒にしてもいい頃かな・・・
なんて思い始めてる。
え?「祭り」を止めるんじゃないですよ。
「祭り」を特別な物じゃなくするって事です。
いつも「祭り」の準備をし続けるって事かな・・・?・・・身が持たないか?(笑)
訳のわからない事を長々と綴ってしまってごめんなさい。
何だろう、現実が変わった訳じゃないのに、心が澄んでいる。
その思いを留めておきたくて・・・。
ところで、誰か一緒に歌いに行ってはくれませんかね?
・・・結局、そこかよ~っ!!って話です