勢いの衰えない朝顔、切り花にしてみたけれど
家の中では陽の光が足りないせいか 半開きのまま色あせて終わっていくみたい。
つぼみもなかなか大きくならないし。
やはり おひさまの光というのは偉大な力があるらしい。
元始、女性は太陽であった という平塚らいてう史のような女性かと思ったが
放送前の評では あくまでも「普通」の人が主人公という「おひさま」
「太陽の陽子さん」というからには 平凡ながらも回りの人たちを明るく照らすんだろうと。
実はあまりに優等生的な女性は 個人的には好きじゃなく
どこかでそれを破って欲しいと思いながらも 半年間見続けてしまいました。
でも そのまま終わっちゃった朝のドラマ(笑)
放送開始当初 とくに女学校時代のあたりは
自分たちの中学・高校時代とかさねあわせて 毎日のように涙したりしたけれど
戦中戦後と話が進むにつれて なんか変?と思うように。
岡田氏も 戦争中の悲惨な場面を書きたいわけではないからと
何かで言っておられたけれど たまたま一緒に戦後のシーンを観ていた母が
「これいつ?どこの話?」と言ったくらいだ。
第1話から最終話まで観ていて 時代の匂いはほとんど感じなかった。
もちろん冒頭から 貧富の差を描き、戦争を描き
さらには復興の様子を描いても、
途中から これがいつの話なのか見失っていたくらい。
登場人物のせりふや持っているであろう価値観は ひと時代昔(ふう)というのはわかるけど
セットは妙にオシャレで 全編を通して生活感がない。
ある意味 時代を書こうとしたのではなく
あくまでも「ひと」にこだわったのだろうと解釈しながら観てきました。
時代が解らないだけでなく 季節感や一日の時間帯も。
というのが おひさまを意識しすぎたためなのだろうか
いつもさんさんと陽が降り注ぐ照明効果。
「窓」好きのわたくしは 最初なんて素敵な撮り方なんだろうと思ったけれど
朝なのか昼なのか夕方なのかよくわからない明るさにちょっとがっかりしたことも。
でね、さらにがっかりしたのが最後の二日間。
日向子さんが火傷をするシーンがあったでしょう?
(ご覧にならなかった方ごめんなさいね)
あれ、遅すぎたような気がしてならない。
歩きはじめて お店で「おいでなさんし」と愛嬌をふりまきだしたころから
わたくし はらはらしていたんです。
絶対お蕎麦を茹でるお湯は危険だ!(絶対なにか起きるに違いない)と。
そういう商売をしている以上 あれだけ沢山の大人が見守っているのだから
調理場の危険管理は 必要以上になされていなければならないはず。
まして カズさんのセリフで 自分もそういうことがあったとわかるのも遅すぎ。
過去にそういうことがあったら お姑さんは口を酸っぱくして注意するはず。
もっと前に カズさんの傷を陽子がたまたま見つけて
気を付けようね位の会話がなされていてもおかしくなかったと思うのですが。
(おーpさん 岡田氏にモノ申しているよ…)
その上(すいません しつこくて)手にやけどを負うだけで済んで
(あと 二回で展開させるので仕方なかったんだろうけど)
誰も陽子を責めない。
普通だったら泣きながら怒りそうなお姑さんも
実は心に思い当たる節があるから そこで葛藤しているはず。
次のシーンでは 包帯をしながらも にこにこした日向子ちゃん。
(ここで思い出したのが 「寺内貫太郎一家」
石屋の貫太郎が 娘に仕事場怪我をさせたことが 全編通じて葛藤になっていました)
…と言いつつも 最後まで観ていたのは井上真央ちゃんの魅力かもしれないなぁ。
高良健吾さんは 「南極料理人」のころから実は目を付けていたのだけれど
このカズさんは あまり好きじゃありませんでした。
カズさんが夫だったら わたくし、きっと肩が凝って疲れ果ててしまいそう。
個人的にはマチコさんが割と好きでした。
苦労知らずで浮世離れしているくせに 妙に独立心が強い性格が楽しいかと。
でも 今回初めて朝ドラを通しで観て
それにプラス ドラマの成り立ちを少しばかり勉強していたこともあり
ドラマを楽しむと言うより 突っ込みを楽しんでいた感もありましたが
とても勉強になった気がしています。
次の朝ドラ主人公は 尾野真千子さん。
「名前をなくした女神」のくらーい役どころのイメージがまた払拭できないでいますが
また勝手に分析しつつ観てみたいと思います。
なお、今日のpさん言いたい放題は あくまでも個人の感想ですので
その辺お含みおきくださいませ。
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