散歩写真をBGP(Back ground Photo)に
日々の徒然、主にたべもの。
わたしの居場所~M's Lunch Boxes



倉敷に行くことになった時 陶芸の先輩たちからは
「備前焼だわね」と。
はい もちろん。できたら体験教室にも行きたいくらいと勢いよく。

かなりアクティブに過ごした倉敷での連休、
備前焼ももちろんウィッシュリストにはあったけれど
取り立てて焼き物に興味のない夫と行っても気づまりかも…というより
面白くないだろうなぁ…と。
最終日 夫はちょうど出勤になったというので 
新居のため これと言って掃除するところもないし
電車でいかれるところだし…ということで
その辺に買い物に行くような感じで 備前焼の町、伊部まで行ってきました。



新倉敷から岡山乗り換えでJR赤穂線、1時間15分くらいです。
連休最終日でしたし イベントごとも前日までで終わっていたようで
町は静かな立たずまい。
町の中は 普通の顔をして登り窯の煙突が何本もたっています。

どこの窯元を見ようかなど まったくノープランでしたので
まずは 伊部駅の上にある備前焼伝統産業会館へ。
唯一事前に知識としてあったのは 「ハルカの陶」という陶芸漫画…。
ハルカの陶 1 (芳文社コミックス)
芳文社

全3巻の ハルカというOLが備前焼に魅せられて修行するお話なのですが
これに この産業会館のことが出ていました。
備前の作家さんたちの作品が 一気にまとめて見られるので
まずはここでお勉強です。

備前特有のヒダスキ 胡麻 桟切り 牡丹餅などの自然の作る装飾
強い強度 焼き締めゆえの機能性などなどを。

そして なんとなく入りやすそうなお店を覗きながら歩いていくと
ちょうど窯だし中の窯元に当たった。
陶芸教室に通ってはいるけれど 工房内に窯がないので
師匠が持ち帰って 焼きあがったものが帰ってくるシステム。
なので 窯だしを見たことがない なんちゃって陶芸なのだ。



あ、ここですね。



中を覗いてみると すでに作品がかなり出された後だったけれど
まだ名残の作品たちが。



こうして作品が焼きあがってくると思うと なんだかまた励みにもなる。



二軒先ではちょうど火入れをしているとのことで こちらも窯の見学をさせていただく。



窯の温度が下がってくると 薪をくべ、
一番下の窯から順に火が回っていく。



当たり前のことだけれど 経験することのできない「火の仕事」を
少しだけでも見ることができて よかった。



近くのお店では ヒダスキの模様の綺麗なカップでアイスティを頂いた。
ふっと手にした感じが 軽くて素敵。

近くには文化財指定を受けている 天保窯が残っている。
まだ 電車の時間まで少しあるので こちらも少し見ていきましょう。



江戸 天保時代に稼働していたという 備前焼で形の残っている最古の窯とのこと。
弁柄小屋の時にも思ったけれど 今のように道具も材料もあふれていない時代に
使い勝手を考えつつ 窯を作り上げていくのは大変だっただろうなと。



周りには誰もおらず 何もない傾斜地にたたずんでいると
過去にここにかかわってきた人たちの声が聞こえそうでちょっと怖い。
よく晴れた空と のどかな空気の 窯の中とのギャップがぞくっとさせる。

備前には「備前カレー」というカレー町おこしがあって
地産地消の素材を使うことや 
それぞれのお店オリジナルの備前焼の器を使うなどの決まりをもって 周辺のカフェなどで食べられます。



今回は天津神社へ向かう途中の衆楽館にて キーマカレーを。
ボリュームたっぷりで美味しかった。

この日は夕方には新倉敷に戻ろうと思っていたので
最後にルート上にある 天津神社へ。



1400年代に建てられたこの神社は 備前焼の本拠地にふさわしく
狛犬や瓦はもちろん 参道を装飾するタイルも備前焼です。





こちらも すれ違う人もなく静かな午後のひととき。
ひとつの産業で結ばれた きっと狭い社会の中でいろいろなドラマもあるのだろうな。
日頃ごちゃごちゃした町で暮らしているから こういうシンプルな町がとても新鮮。



ひこうき雲の描く空に長四角。
今回のお散歩スナップは まだ始まったばかり。
生活者目線の観光客、こうして気負わず非日常的スポットへ行かれるのが
なによりの楽しみになりそうです。

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久しぶりにおつうの野球仲間の母と近くの居酒屋さんへ。
仕事が終わってからの時間に集まれるようになったのも
子供たちがみんな成人してしまったからというのもあって
そして それぞれ卒業後何年かを過ぎ、
子供たちに思うところもそれぞれに。

うわーすごい大根!
三分の一くらい丸ごと煮てあるね。
どうやって煮たらこんなにきれいに煮られるのかな?
圧力鍋? 煮崩れない? もしかしたらチェーン店だから
業務用のお風呂みたいなお鍋で じっくりと煮るのかも?

なんて しばしメニューを見ながらオーダーを決めて
大根は 金属製のおたまで切り崩しながら美味しくいただく。



カシスのお酒にフローズンパイナップルが入ったなんとかというカクテル。
わたくしにはこういうのがいいみたい。
この後 マスカットモヒートという 冷凍ブドウの入ったのも飲んだ。
粗塩ドレッシングのサラダは お代わり自由だって。

サテ

この日は 息子だけの母三人で。
上は29歳、三人の母であるよっちゃん(仮名)と 
さっきまで職場で一緒にいたボードさんと。
よっちゃんのところは 二番目のお兄ちゃんが先日結婚したと聞いていたので
なんとなく この日は息子トークになりそうな気がして
他にも会いたい人はいたけれど、ちんまりと集まることにした。



モッツアレラチーズって揚げ出しにすると美味しいんだ。
これは発見。採用しましょう(笑)

トコロデ

少し前にいとこの結婚式に出席した時 新郎の母である叔母が さかんに
「男の子の母親なんて結婚式ではなんにも出番がなくてつまんないわよー」と言っていた。
わたくしもなんとなく心情察するところあり、おそらく この件に関しては
姉であるわたくしの母より寄り添える気がしていた。

そんなこともあり よっちゃんが今一番話したいことは 心の澱になっているのは
そのことじゃないかなぁ…と。

昔に比べてフリーダムな結婚式になり 親の出番が減ったこともあるが
それはそれで いいことだと思うと語りながら
三人兄弟 おそらく家族で旅行することももうなくなるであろうと思って
最後に一度家族旅行をしようとやりくりしたそうだ。

しかしながら 中学校の先生をしている新郎である次男くんは
中3の担任だったこともあり なかなか時間が取れない
やっとのことで 年末休みに一泊旅行をしようかと話がまとまった。



あ、このつくねも美味しいね。
ゲンコツみたいなつくねの中にチーズが入ってて 卵の黄味とすごく合うわ。

デ、ゴリョコウハ?

うん、実はね。
11月に新居に引っ越すって言ってたんだけど 息子だけだと思ったら
お嫁さんも同じに引っ越して そのまま同居するっていうの。

ということは 年末年始、家族旅行だからって
彼女を家に残しておくことになるわけでしょ?
(おそらく彼女も実家に行くとは思われるが)

息子にそれを言ったら 絶対「そんなの大丈夫だよ」っていうに決まってる。
彼女も そんなこと気にしない っていうだろう。
実際 気にしない可能性のほうが高い。

ダケド

もしかしたら もしかしたら 何年かして 思い出話になったころ
「あの時 家族旅行に行ったよね。私は家族じゃないんだーって思った」というようなことを
彼女が言うかもしれない。
言わないにしろ ほんのちょっと
(そうかー 家族水入らずでってことねー)くらいのことは思うかもしれない。

その時 彼女が思うのはいいんだけど 息子が何か言われたらいやだな という気持ちが働く。
そう思ったら もう 家族旅行はできないと よっちゃんは思ったそうだ。
でも よっちゃんのその思いを理由に旅行を取りやめることはもっと嫌だった。
これは墓場まで持っていく覚悟で ご主人の仕事が年末年始忙しいという理由で
息子たちには納得してもらい 旅行は取りやめにしたそうだ。



このあたりで よっちゃんの気持ちを思ったら すごく悲しくなってきた。
最後の家族旅行にいかれない ということもだけれど
お嫁さんの心に なにかぽつんと残すことが お嫁さんを傷つけることだけでなく
回っては息子に帰ってくるかもしれない と思ってしまう母親の気持ちが
ボードさんにもわたくしにも とってもとっても理解できたから。



取りやめが決まった後 よっちゃんはお風呂で一人泣いたそうだ。
それを聞いて わたくしも心の中で号泣した。
これは泣くに値する気持ちだ。

これは子離れできないとか 息子可愛さを言いたいのではないよ。
勘違いしないでね。

結婚することが 家と家との繋がりメインではなくなってきたというのも
ある意味これからのお姑さんにとって いいことであるのも事実。
わたくしなんぞは できたらそうであってほしいと思う。
よっちゃんもボードさんも それは同じなのだ

やっぱり今日はお二人と飲めてよかったなぁと思った。






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千光寺の階段を下りていくと、なにやら楽しげな秘密基地。



こちらはイーハトーヴ尾道という
尾道の斜面に建つ古民家を再生しつつ
アーティスト園山春二氏が作り始めた理想郷。



園山氏の作品である福石猫がいたるところに生息し



うっそうとした木々の間を歩いていると 不思議な音楽が聞こえてきたり
猫のフェイスペインティングをした人が行き交い、
実にカオスな空間を味わうことができます。



福石猫の聖地では 不思議なライブ。



猫祭り中。



窓にも猫。



これはわたくしの好きな窓。



謎のカフェ。



この日はリアル猫にはあまり会えず、唯一モデルになってくれたのがこの子。



尾道はこれからテーマを決めて 何度かに分けて訪れてみたい場所。
何があるのか わかるようでわからない不思議な場所になりそうな予感。

そしてこちらは おそらく行くたびに食べてくるのではないかと思われる
なんとも懐かしいお味のする からさわのアイス最中。
電車の時間を気にしながらも 今回も急いで食べてくる。
海沿いの道にお店があるので 四季折々の海とともに思い出づくりができそう。



海のある風景は 生まれ育ったところではなくいつもアウェイな場所。
アウェイならアウェイなりに そこを好きになっていくのがこれまでのお付き合い。
きっとそれはこれからも変わらず 仲良しになってもらえたらいいと思う。


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三月の末と5月の連休とこの短い間に二回尾道へ。

広島県民だったこともあるけれど 尾道はご縁がなく
今回初めて訪れました。
初回はまだ 桜が咲いているころで 二度目は新緑の眩しい季節に。

持っているイメージといえば 大林監督の映画の街、
瀬戸内海の島々へ向かう街、猫の街…昭和の匂いのする街…などなど。



駅前の商店街は まさに昭和の香りとそれを好み懐かしがる者にとっては
たまらない魅力があるし
さらに 若いチカラによって 新たな魅力を放つ場所になりつつもある。



こういう風景を見たあと 思わず映画「転校生」などを観るととても楽しい。

まずは過去に向かった街を歩いてみる。

この度の短い旅に 常について回ったのが「商店街」
この尾道ももちろんだし 途中立ち寄った福山、倉敷にも 
懐かしさとイマドキ感のある商店街が駅前に。
(そういえば 大船の商店街もとても魅力的だった)
なぜか わたくしの住処である市にはない貴重なエリアである。

尾道駅前の商店街には 萌えポイントの高い看板建築がたくさんある。
どれもこれもご紹介したいくらいなのだけれど まずはトップ2を。



建物萌えと買い物萌え(笑)を満たすならこちらの大和湯。
お風呂屋さんだった建物をカフェとお土産物店としてつかっている ゆーゆー。



そして この毛糸屋さんの看板は なかなか捨てがたい。
この看板の持つメッセージ性とかわいらしさがたまらない。

今回は千光寺のロープウエイに乗って山頂まで行ってみようということで
普段は並ばない行列に加わって 片道切符にて山頂へ。



前方に山、振り返ると海の景色となかなか忙しい数分間を楽しんだ後
迎えてくれるのは駅長猫。



山頂では どこもかしこもフォトジェニックな場所ばかりで
同じような写真を何枚も撮ってしまう。
撮れば撮るほど 次に出会う風景が さっき見たものよりも素敵に見えてきて。





山頂からは 文学の小径と名付けられた下りの参道をひたすら下りる。
途中 プロアマ入り混じったような短歌や俳句の歌碑を読みながら。
そうそう 途中に「蓮子さま」の歌もございましてよ。
もし 訪ねる機会があったら探してみてください。



平山郁夫画伯の描いた尾道のベストポイント言われる 三重塔を望む尾道の町並み。
このふもとには 不思議な細道が待っています。

……………………………続く



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大人の社会科見学、今回はちょっと写真中心で。
これといって説明することもないのですが 整然と並んだ弁柄工場のようすが
色といい、たたずまいといい とても心惹かれるものがありました。

江戸末期から昭和47年に近くの銅山が閉山するまで弁柄の産地として稼働していた吹屋。
このべんがら館は明治時代の工場を復元したものです。



ローハという弁柄の原料(磁硫鉄鉱)を焙烙(ほうろく)に盛って土窯のなかにたくさん並べ
700度の火力で1日~2日かけて焼きます。すると赤褐色の焼燬となります。





焼燬を水洗碾き臼にて 水を加え沈殿させることで選別し 
さらに水車を用いた石臼で挽いていきます。





その後水槽の中で何度もかきまぜて酸を抜いていき 天日乾燥すると 粉末の弁柄となります。

テレビで工業用ロボットのレポートなど見ていると
こういうものを作り出すひとは ネ申 だな と毎回思うのです。
先人の道理にかなった生産施設は さらにパイオニアとしての尊敬の念を感じます。

実は今 わたくしが凝っているのは
ざらっぽい鉄分を含んだ土に 彫を入れ焼きあがったところでそのくぼみに弁柄を置き
さらにその上からジルコンという白い釉薬をかけてるという装飾。
白い釉薬に この弁柄の鉄分が浮き上がってくるのが とても好きなのです。

ついつい 勢いで黒弁柄と赤弁柄の粉末を買ってしまいましたが
一回に使う量は実に微々たるものなので これで一生分のマイ弁柄となってしまいそうです。

サテ

べんがら館を見学した後は 夫がどうしても行きたいという広兼邸へ。
同じ場所を目指してきたわけですが 微妙にそれぞれ関心が違うので
バランスが取れているといえば取れているということになりますか…。

そちらへ向かう途中にあるのが 笹畝坑道という 銅の採掘場。
こちらも吹屋の産業として大正末期まで銅の採掘でにぎわい、
昭和に入って復元整備されたものです。



鍾乳洞化はたまたハリー(大脱走)かという洞窟です。



側溝には銅の成分を含む青い水が流れています。



採掘場のドームのようなところには ちょっとぎょっとしますが
当時の労働者さんたちも。



こうして 歴史上の産業を知るたびに
酷使されたであろう労働者に手を合わせる思いがします。
少しふざけたようなリアクションをしつつ、その過酷な労働と搾取を思うと。

ひんやりとして穴から出てしばらく行くと
その搾取によって財を成したであろう庄屋の邸宅にたどり着きます。



「八つ墓村」のロケにも使われたというこのお屋敷、二階建ての母屋から
土蔵3棟 楼門 長屋 石垣つくりで 離れも。





どこへ行っても釜場というか台所は興味があり、
煮炊きしたものを想像するのはとても楽しい。



面白かったのは 日本庭園の中にあった 水琴窟。





手水鉢の横に作られた穴に 竹を通して水を落とすと
かすかに ころころと音を立てる仕組み。



これは静かな場所でないと 楽しむことができません。
鶯のほーほけきょとのアンサンブルの風情があって素敵。

なんともわかりやすいキャラクター「べんがらくん」の道案内版もここで終わり。
お決まりのソフトクリームを食べて(我が家はいつもこれで〆ます)
デンジャラスなスタートからの一日が終了。

なんと ナビは高速ではなく一般道を推奨していたりする。
そして そのほうが所要時間もかなり短いということが判明して
朝の冷汗はいったい何だったのだろうという思いを胸に 玉島へ向かうのでした。

………………………吹屋編はこれで終わり。 


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貝殻のスタンドに感謝しつつ、高梁の町から30分ほどで
目的地「銅と弁柄の里 吹屋ふるさと村」につきました。

弁柄というのは 酸化第二鉄由来の顔料で
わたくしは陶芸で使いますが、染め物や建築にも使われます。
かつては この吹屋の村の弁柄小屋で 弁柄がつくられていて
近くの笹畝の銅採掘とともに 村が反映していたそうです。

この集落も町並み保存地区になっており 弁柄色の瓦屋根や建物が残されています。



観光用に整備されているとはいえ さほど混雑もしておらず
なんていうのかしら こういう木造のたてものの
ささくれたような感じとか 時間がたっても艶のかわらない瓦とか
こういうものに惹かれるようになったのはいつごろからなのかしら?
ここのようにいわれのあるものはもちろん、何の変哲もない
地元の町を歩いていて たまたま古い家にであったときも
いったい何が?と自問自答しながら 嬉しい気分になっている。



この日はラッキーなことに 日本で最古の木造校舎である旧吹屋小学校が
内部を公開していました。
廃校めぐりも趣味の一つなので さっそく行ってみました。



2012年3月まで現役の校舎として使われていたので 机や備品は最近のものですが
そのつくりはやはりレトロなもので
「ごちそうさん」とか「カーネーション」で ヒロインが子供のころの学校のシーンに
使われていたそうです。
群馬の温泉に行った時なども 山間の廃校を覗いたりしていましたが
なるほどこちらはかなり年代もの。

こういう校舎を見るとき なぜか渡り廊下って好き。



名残の八重の桜と日差しと青い空。
ハナミズキの花から空へ向かって一筋の雲。
この辺りはほんとうにのどかな山村で 時間が止まったような気がしてきます。



レトロなボンネットバスが細い道を抜けていきます。

次は 弁柄小屋とかつて弁柄と銅の採掘で財を成したという豪農のお屋敷
八墓村のロケ地にもなったという 広兼邸に向かいます。




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到着するなり地元の空気を味わい 片付けが後回し。
翌日は少しだけ真面目に住まいを整え、ほぼ完了。
(もっとも単身の荷物ですから 実に楽)

三日目は 転勤が決まるとすぐに購入する「るるぶ」で見つけて
なぜかどの観光地より惹かれるものがあった吹屋へ行くことに。
吹屋は 吉備とか備中というエリアに位置する山村で
かつては 弁柄(鉄由来の顔料)と銅山によって栄え、
当時の豪農の家屋なども残っている ここも町並み保存地区になります。

倉敷への異動が浮上するまではまったく知らない地名でしたが
るるぶに載っている赤茶色(弁柄の色)の屋根や建物が並んだ風景は
なぜか最初の目的地をそこに決めさせる魅力が。

住まいから するするっと高速に乗って(こりゃ便利)とほくほくしていたのですが
連休中の軽い渋滞の中、ふっと「どっかでガソリン入れなきゃ」
次のSAで入れちゃう?……
あ ガソリンスタンドないや…
インター下りたら道の駅があるから そこでとりあえず探そうか

いやいや ガソリンスタンドの ガ もないです。
あと何キロ走れる?
10キロ?だったり13キロって表示されたり…これはまずい。
ということで 道の駅の人に聞いてみると
10キロは超える。

さらに 慎重にそのガソリンスタンドが休みだったりすると 
もうアウトだから と電話番号を調べて確認すると「この電話は現在……」のアナウンスだ…。

同じ系列のお店を検索して電話してみると 「そこにはありませんねぇ……」

こ、こんな山の中で…。

仕方がないので その営業中のガソリンスタンドに行くことにして発進。

すでに走行可能距離は0kmの表示。

わたくしはスマホで必死にスタンドを検索。

途中 地味なよろづ屋さん的なコンビニがあったので情報収集すると
どうやら一番近いスタンドは JAに委託しているので今日はおそらくやっていないだろう。
そしてこの周辺にスタンドはない。
山を下って町に出れば いくらでもあるかと思われる。

そして お店のおじさんのナイスアドバイスが わたくしたちを救う。

「町までは下りしかないから とりあえず下りられると思うよ」

それから山下りの長かったこと…
ニュートラ坂道走行とやらで 対向車も追従車もなくただひたすら下るだけだったので
夫もなんとか行けるぞ 行けるぞと 自分を励まし、
かつて 雪道でチェーンが切れたときの怖い話などしながら
それに比べれば いざとなったら自動車保険のおばちゃんに電話しようとか

そのうち 眼下に町並みが見え始め 麗しの黄色に貝殻の看板とかが見えてくる。

「どんなに高くても 最初に目に入ったスタンドに入ろう」
「もちろん」

山を下り終わったところに 最後の難所があった。

…信号だ。

止まらないわけにいかんだろう(笑)

まずい 発信できないかも… そこになぜか後続車…。
ここで止まったら顰蹙かも。

信号が変わるまでがまた長く感じる。

黄色に貝殻の看板だけを目印に 発進。

おおー動いた。

目の前に貝殻のスタンド。一軒先に オレンジの縞々もあったけど
迷わず貝殻のスタンドに入る。

トイレをぎりぎりまで我慢して間に合った時のような安心感。
貝殻スタンド万歳。

夫は ほっとしたように飲み物を買いに走っていた。

なまじ 高速の入り口が近かったばっかりに 給油しそびれた痛い教訓。

ここは山の中 いつでも給油できると思うなかれ。

あ、吹屋の町に行ったことを書こうと思ったのですが、疲れちゃったのでここで休憩。
吹屋の町まで もう少しです。

ちなみに 今日の画像は全く本文と関係ありません。
海岸で撮ったのに なぜか山頂で苔むした石が飛んでいるみたいにも見える変な写真。

……………………続く


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ご無沙汰しております。
ぴぃさんぽ、新たな一章の始まりです(って大げさな…)

週末鎌倉夫人から一転、交通費の関係からたまにしか行かれない倉敷。
ということで こんなカテゴリにしてみました。

ちなみに新たなる別宅は 倉敷市の玉島地区。
いわゆる美観地区はJR倉敷駅が最寄りですが
玉島地区というのは新幹線の新倉敷が最寄りになります。
もともとは 山陽本線の玉島駅だったのが、新幹線が止まるっつうんで
新大阪や新神戸と同じように「新倉敷」になったらしいんです。

でも 新大阪や新神戸と違うのは こだまとひかりしか止まらないんです。

そして「玉島地区」といっても 範囲はかなり広く
市町村合併によってさまざまな顔を持っているようです。
「水島」と呼ばれる工業地帯「水島コンビナート」(社会科で習いました)もこの地域に含まれます。
港町として栄えた海沿いも 新幹線の開通によって中心地が内陸側に寄ったことで衰退して
中央部であった玉島町あたりは シャッターの下りたゴースト商店街っぽくなっているそうだ…

というようなことを 駅でもらったパンフレットで読んだわたくし。
引っ越し手伝いで来たはずなのに早速行ってみたくなる。
夫も「商店街」というキーワードにとても弱い。

家具の買い足しのついでに 自宅から移送した愛車に乗って(笑)行ってみることになります。

ついで…と書きましたが ついでにはあらず。



ちょっと待て ここはどこぞ?
厳密にはいろいろ違いもあろうけれど 奈良か京都か川越かはたまた金沢か 
と見まごうような街並み。
県の町並み保存地区ゆえに 建て替えられた建物もそれになじむように作られているので
そのエリアだけに限って言えば 統一感さえある。

路地を一歩入ると しーんと静まり返ったアーケード街が…



カメラなしだったので スマホのカメラでぱしょぱしょしていると
商店街の主のようなおじさんが近寄ってっくる。
夫はとてもフレンドリーなひとなので こういう時たいてい話が弾む。

案の定 水島工業地帯の繁栄から 今にいたる玉島の盛衰をレクチャーしていただく。



なんとか銀座 じゃなくて もろに「GINZA」というところに
当時の自信を感じませんか?



看板にも歴史が…。



こちらはまだ現役の様子。

ちょっと画像の切り貼りになって恐縮なのですが
二日ほどのち、港から海岸方面に行ってみたときの画像に続きますと



夕暮れの玉島の海。



遠くに見えるのは「江の島」ではなく 水島の工業地帯です。



このあたりで すでに鎌倉ではなく 思えば遠くに来たものだ…と痛感するわたくしたち。

まずは 倉敷ビギナーズのご案内と行きましょうか?

その前に ここで出会った珍しフードをひとつ。



レモンラーメン。麺が見えないくらいのレモンの酸味が
尾道風?のしょうゆラーメンに意外にマッチング。
新倉敷駅前 孜々庵(ししあん)にて。

……………………………………… 続く






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