エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-I-10

2020-05-24 06:41:58 | 地獄の生活

「しかしですね、お嬢さん」と医師は譲らなかった。「あなたのお父様は……」
「シャルース伯爵は私の父ではありません!」
マルグリット嬢の突然の激しさにジョドン医師ほど面喰った人間はいなかったであろう。
「あ…あ…ああ!」と彼は三段階のトーンで答えた。一瞬のうちに、彼の頭の中でたくさんの奇妙な矛盾する考えが交差した。シャルース伯爵令嬢でないなら、この娘は一体誰なのか? どのような資格でこの館に住んでいるのか? ここで女主人のように振る舞っているのは何故なのか? それにもまして、この突然の感情の爆発の原因は一体何なのか? ごく当然の要求に関するものであり、大して重要なものとも思えないのに……?
しかし、彼女はもう冷静さを取り戻していた。彼女の態度から、この一瞬垣間見えた危険を払いのける方策を探しているらしいことが容易に見て取れた。どうやら見つけたらしかった。
「カジミール」彼女は命令した。「シャルース伯爵のポケットから書き物机の鍵をお探しなさい」
カジミール氏はまた新たな気まぐれだと判断し唖然としたものの、命令に従った。絨毯の上に散らばっていた主人の服を拾い集め、彼はチョッキのポケットから鍵を取り出した。それはごく小さな鍵で、貴重品の保管用の鍵が皆そうであるように、精巧な細工がしてあった。マルグリット嬢は鍵を受け取り、短く命令した。
「金槌を」
金槌が持って来られると、呆気に取られている医者を前に、彼女は暖炉の前に跪き、錬鉄の薪のせ台の上に座りは悪いながらも鍵を乗せ、金槌で躊躇いなく打つと鍵は粉々に飛び散った。
「これで」と彼女は立ち上がりながら言った。「安心できますわ」
皆が彼女を見ていた。彼女はある程度自分の行動を正当化せねばならないと思った。
「きっと」と彼女は皆に言った。「シャルース伯爵は、私のしたことは良かったと仰るでしょう。回復されたら、別の鍵を作らせれば良いことですもの」
この釈明は不必要なものであった。彼女の意図を理解しない召使は一人もいなかった。誰しも心の中でこう言っていたからである。
『お嬢様の言うとおりだ。死にかけている人の机の中をいじくり回すもんじゃない。百万フランが入っているかもしれないじゃないか? もし何かがなくなってでもいれば、皆が疑われる。鍵が壊されれば、疑われる心配はなくなる』
しかし、医者だけは全く別の想像をしていた。
「あれほど人に見せたくないとは、あの机の中には一体何が入っているんだ?」と彼は考えていた。
しかしこうなると、これ以上長居をする理由も見当たらなかった。もう一度病人の様子を調べたが、状態は変わらずであった。それから自分が不在の間なすべきことを説明した後、緊急の患者が大勢いるからもう帰ると宣言したが、真夜中頃また来るからと付け加えた。
「レオン夫人と私とで伯爵を寝ずに看病いたします」とマルグリット嬢が答えた。「ですから、先生の処方はきちんと守ります。ただ……お気を悪くなさらないで頂きたいのですが、伯爵のかかりつけ医に来て頂いて、協力をお願いしたいと……」
ジョドン医師は大変気を悪くした。特に、貴族の多く住むこの界隈ではこのような不運に遭遇したことがこれまで十回はあっただけに猶更であった。なにか突発的な事故が起こると彼が呼ばれる。手近なところに彼がいるからだ。彼が駆けつけ応急処置を施し、患者を一人獲得したとほくそ笑んでいると、二度目に訪問したときにはどこかの高名な医者が遠くから馬車で乗り付けて来ている……。5.24

コメント