計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

局地予報における決断

2006年09月18日 | 気象情報の現場から
 メールマガジンの文章を推敲していたのですが、折角なのでブログにも掲載しちゃいます。これが世に言うチラリズム精神・・・?

 現在は気象実況監視や局地予報業務がメインとなっている私ですが、それだけに未来を予想する事の「責任」を痛感しております。例えば、局地予報で雨の予報を出す際、大多数のケースにおいては、降水の有無はおおよそ見当がつくのですが・・・微妙な時=複数のシナリオが考えられる(もしくは確信をもってどちらかに割り切れない)というケースに直面することがあります。

 さて、このような時がもっとも厄介なのです。「降水あり」と予報して実際に雨が降らなかった場合は「空振り」、「降水なし」と予報して実際に雨が降ってしまった場合は「見逃し」と言いますが、どっちも「外れ」には変わりありません

 そこで、的中率にこだわるあまり、想定されうる全てのシナリオを予報として発表するという方法が考えられます。しかし、それでは「降るのか降らないのかどっちなんだ!」と言われてしまいます。ある意味、このような批判は的を得ているのかもしれません。というのも、その究極の判断を下す事が、気象予報士の仕事なのですから。複数のシナリオを提示されても、ユーザーには気象に関する判断が出来ません。

 ユーザーが求めているのが「降る」のか「降らない」のかの二者択一である場合、白黒はっきり裁かなければならないのです。例えて言うならば、刑事裁判において被告人が有罪か無罪かを裁く裁判官のようなものです。気象データを分析し、理論的に考察をする段階では、まさに弁論や論証を繰り返す検察官や弁護人の立場です。

 刑事裁判においては「疑わしきは罰せず」という原則があります。それでは予報においてはどうかのでしょうか?こればかりは担当する気象予報士によって、またその時の気象場や数値予報プロダクト、実況データによっても判断が異なります。そして「どちらの事態も起こりうる」という究極のケースにも直面するのです。こうなると、予報者は頭を抱えるのです。

 停滞前線の位置がギリギリの所まで接近しているのに、もう一歩雨雲が届くか届かないか・・・と言った状態のケースなど。

 こうなってくると、「空振り」と「見逃し」のどちらがより被害が小さいかが脳裏をよぎります。最終的には現象の有無に伴う被害・損失を最小限に食い止める事が重要になってくるのです。

 例えば、対策を講じていない状態で雨が降ると100万円の損失が発生する一方、対策を講じたのに雨が降らないのでは10万円のコストの無駄となる場合は、見逃しによる被害は100万円で、空振りによる被害は10万円ですから、降水の有無の可能性がどちらも起こりうる場合は、リスクヘッジの立場から対策を講じるべきだということは容易に想像できます(この話はあくまで架空の話でフィクションだよ~ん)。

 つまり、この条件で雨が降るかどうか微妙な状態だとすると、空振りを覚悟の上で「雨が降る」とせざるおえない局面もあります。降るか降らぬか「どちらかを決断しなければならない」のですから。

 これで1日中晴れるような事があれば、予報は明らかに「外れ」です。しかし、この状況で「降らない」と予報した場合、晴れれば予報は的中して「めでたしめでたし」ですが、仮にも雨が降ろうものなら、その被害は100万円では済みません。それこそ「見逃し」によって、予報に対する信頼を失う事になるのです。

 このような場合、「微妙な状況であること」を参考情報として明記した上で、雨が降る方向で対応することになるでしょう。あくまで、ケース・バイ・ケースなんですけどね。このように微妙な時、広域予報であれば「所によっては雨が降るでしょう」のたった一言で片付けられるのですが・・・。そこが局地予報のシビアな所です。

 微妙だから、絶対の確信が無いから・・・予報者同士ではその理屈が通用します。しかし、ビジネスである以上顧客には通用しません。天気予報が絶対ではない(=外れることはある)事は顧客も知っています。その上で敢えて「決断」を求めているのです。ですから、予報には精度も当然求められますが、明確な決断もまた求められるのです。例えば「雨が降るかどうか」等の気象に関する決断が出来るのは局地予報のスペシャリストである気象予報士であり、顧客が求めているのもそのような「決断」なのかもしれません

 また、予報は確率論でもあるため、現象の出現期待度を、降水確率のような「指数」で表現する事もあります。このような表現についても、その情報を受け取った相手がどのように解釈するのかを含めて考慮しなければなりません。

 ビジネスにおける政治判断は顧客が下します。しかし、その意思決定の情報ツールとなる局地予報は、気象の専門家が決断しなければならない、と言う事です。その責任はとても重く、私も自らの最終決断を顧客に配信する時は、今でも震え上がるような心境なのです。

 こう言っては何ですが「所によっては降る事があるでしょう」「もしかしたら降るかも(降らないかも)しれません」のようなフレーズが使えたら、どんなにか楽だろう・・・と思います。しかし、そんな局地予報に投資価値があるかと問われたら、多分皆さん「ない」と答えるでしょうね。

 なぜなら、そこには「決断」がないのだから・・・。

 よし!この文章メールマガジンで使おう。
コメント (2)
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