一見優しそうなのに、部下に冷酷で無関心!最もやりづらい氷河期上司のドライな生態(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
就職氷河期の時代を経験しながらも、広告会社に入社し、31歳にして20名近くの部下を束ねているというこの男性・・・。筆者との対談形式で、彼の「氷河期上司」としての考え方を垣間見ることが出来ます。彼の言葉の一つ一つに思わず、笑ってしまいました。その発言を少し、紹介しましょう。
●あまり管理しようと思ってないんですよ。全部追い切れないのが正直なところですが。できるだけ社員個人に任せるようにします。その方が社員個人の責任感も育ちますし。
●私は会社にほとんど居ないんです。居るとしてもほとんど個室で対応していますので、連絡はメールベースで行っています。だから、(部下から)あまり文句を言われることはありません。不満を持っている社員は辞めていきますからね。
●今の若者は無理に押しつけてもダメな結果になることが多いですからね。仕事に向かなければ次の道を模索した方がその人のためにも良いと思いますよ。
●ドライですよね。自分でも冷たいと思います。あえて言いますけど、社員を仲間だと思っていない。自分の仕事を成し遂げる道具のような存在。会社に人情なんていらないんですよ。
●(部下と飲みには)行きません。自分が新入社員のときに、部署の飲み会なんて何の生産性もないと思っていましたから。しかも会社の飲み会は経費じゃないですか。社員は疲れるし、会社もお金を持ち出すことになるし。だから一切やめたんです。
●部下に対しては、確かに不干渉なところがあるから、一見優しい気がするけど、本当は冷酷な部分がある。特に氷河期世代のなかでも後期、僕らのような若い世代はドライな人が多いですよね。
う~む・・・ドライにして冷酷な超合理的個人主義、さらに競争原理主義的なリアリスト・・・思わず笑ってしまった!
私もまた、氷河期世代かつロスト・ジェネレーション世代。バブルのような日本の華やかな良き時代の恩恵を知らない世代です・・・彼よりは若干は長く生きていますが、ほぼ同世代です。それだけに、彼の考え方はスンナリと理解できてしまいます。ある意味、とっても「わかりやすい」タイプです。そして、この記事の後半には、このような思想を持ってしまうに至った社会的背景についても言及されています。興味のある方はダイヤモンド・オンラインの記事を読んでみて下さい。
その一方で、私のこれまでの経験上、このような組織はある種の「脆弱性」を持っているとも感じました。業務が順調に進んでいる「平時」にはとても強いですが、会社全体の経営が傾いたり、自社や自部署の業績が落ち込んだり、自分が重大なミスをしてしまった等と言った「有事」の際には、この脆弱さが露呈するのではないか・・・。
その根拠は・・・上記の発言の中でアンダーラインした部分にあります。組織運営においては「明確なビジョン」はデフォルトとして、「メンバー相互の信頼」と「情報共有の徹底」が必要不可欠な筈。しかし、この2つとも十分とは言えないのではないか、という疑問を覚えました。別に「絆」等のような情緒的な言葉を声高に叫ぶつもりはありません。本来、このようなものはどこかの政治家達のように声に出して叫んだり、ましてや強要するものではなく・・・同じ目的や目標に向かって共に挑戦し、邁進するメンバー間で「自発的」かつ「無意識的」に感じられる感覚だと思うのです。
大切なのは、組織にとって最大の資源は「人材」であると言う事です。「人材」は「人財」にもなるし「人罪」にもなります。組織の構造としてはピラミッド型やネットワーク型等がありますが、大切なのは「メンバーの一人一人がその持ちうる能力を存分に高め、存分に発揮できる事=個々の能力の最大化」であると思います。この部分はある種の個人主義的な発想なので、この点では彼の考え方も理解できます。
しかし、能力最大化において重要なのは「モチベーション」、それも目の前にニンジンをぶら下げるような「外発的要因」よりも、使命感や夢、憧れのような「内発的要因」です。これには「明確なビジョン」への共鳴、共感も去ることながら、メンバー間の「信頼」も大きく影響します。
お互いによく知らない間柄では信頼関係を構築する事はおそらく無理でしょう。メンバー間の相互理解を図ると言う意味では飲み会も有効であると思うのです。ちなみに、私自身「飲み会」それ自体には(直接的には)「何の生産性も無い」と思っていますので、必要最小限で良いと思っています。月に何回も催されるのであれば・・・確かにウゼーッって感じです(爆)。
また、能力を最大限に生かし切るためには、メンバー間での情報共有も必要不可欠です。特に「報告・連絡・相談」は「有事」の際にも臨機応変に即応できる体制を「平時」から備えておくための知恵です。その情報が今すぐには自分に必要ないかもしれない・・・でも、予め知っておくことで組織全体の置かれている状況や、今後自分が担うべき業務についてもある程度見通しを得る事が出来るかもしれません。次に来る業務が予想できれば、予め準備しておく事もできます。遠い未来を見通す事は不可能でも、ちょっと先を見通して下準備が出来れば、業務の効率も上がる筈です。
もう一つ、人材育成についても述べておきましょう。最近、ふと気付いたことですが「優れた指導者は相手の長所を数えるが、愚かな指導者は相手の短所を数える」という事です。これは、私自身が後者のタイプの人々によって人格を否定され、個性を潰され、能力を減退させられた一方、前者のタイプの人々によって(自分でも気づかなかった)潜在能力を引き出された経験を数多く持っているからです。これまでの社会人生活で、私も様々なタイプの上司に仕えてきましたし、その一方、学習塾で生徒さんに教える立場を経験しています。だからこそ、学習塾でも私は常に前者(=優れた指導者)であることを心がけています。生徒さん一人一人の持っている可能性を引き出す事、ひいては生徒さん個々の能力の最大化につながるような指導を心がけています。
このように考えてみると、氷河期上司の彼の考え方はとても理解し易い面もある一方、組織としての脆弱さが否めないのです。社会的背景がそうさせた・・・という点では同情しますが、組織を束ねる立場としての勉強の必要性が否定できません。
就職氷河期の時代を経験しながらも、広告会社に入社し、31歳にして20名近くの部下を束ねているというこの男性・・・。筆者との対談形式で、彼の「氷河期上司」としての考え方を垣間見ることが出来ます。彼の言葉の一つ一つに思わず、笑ってしまいました。その発言を少し、紹介しましょう。
●あまり管理しようと思ってないんですよ。全部追い切れないのが正直なところですが。できるだけ社員個人に任せるようにします。その方が社員個人の責任感も育ちますし。
●私は会社にほとんど居ないんです。居るとしてもほとんど個室で対応していますので、連絡はメールベースで行っています。だから、(部下から)あまり文句を言われることはありません。不満を持っている社員は辞めていきますからね。
●今の若者は無理に押しつけてもダメな結果になることが多いですからね。仕事に向かなければ次の道を模索した方がその人のためにも良いと思いますよ。
●ドライですよね。自分でも冷たいと思います。あえて言いますけど、社員を仲間だと思っていない。自分の仕事を成し遂げる道具のような存在。会社に人情なんていらないんですよ。
●(部下と飲みには)行きません。自分が新入社員のときに、部署の飲み会なんて何の生産性もないと思っていましたから。しかも会社の飲み会は経費じゃないですか。社員は疲れるし、会社もお金を持ち出すことになるし。だから一切やめたんです。
●部下に対しては、確かに不干渉なところがあるから、一見優しい気がするけど、本当は冷酷な部分がある。特に氷河期世代のなかでも後期、僕らのような若い世代はドライな人が多いですよね。
う~む・・・ドライにして冷酷な超合理的個人主義、さらに競争原理主義的なリアリスト・・・思わず笑ってしまった!
私もまた、氷河期世代かつロスト・ジェネレーション世代。バブルのような日本の華やかな良き時代の恩恵を知らない世代です・・・彼よりは若干は長く生きていますが、ほぼ同世代です。それだけに、彼の考え方はスンナリと理解できてしまいます。ある意味、とっても「わかりやすい」タイプです。そして、この記事の後半には、このような思想を持ってしまうに至った社会的背景についても言及されています。興味のある方はダイヤモンド・オンラインの記事を読んでみて下さい。
その一方で、私のこれまでの経験上、このような組織はある種の「脆弱性」を持っているとも感じました。業務が順調に進んでいる「平時」にはとても強いですが、会社全体の経営が傾いたり、自社や自部署の業績が落ち込んだり、自分が重大なミスをしてしまった等と言った「有事」の際には、この脆弱さが露呈するのではないか・・・。
その根拠は・・・上記の発言の中でアンダーラインした部分にあります。組織運営においては「明確なビジョン」はデフォルトとして、「メンバー相互の信頼」と「情報共有の徹底」が必要不可欠な筈。しかし、この2つとも十分とは言えないのではないか、という疑問を覚えました。別に「絆」等のような情緒的な言葉を声高に叫ぶつもりはありません。本来、このようなものはどこかの政治家達のように声に出して叫んだり、ましてや強要するものではなく・・・同じ目的や目標に向かって共に挑戦し、邁進するメンバー間で「自発的」かつ「無意識的」に感じられる感覚だと思うのです。
大切なのは、組織にとって最大の資源は「人材」であると言う事です。「人材」は「人財」にもなるし「人罪」にもなります。組織の構造としてはピラミッド型やネットワーク型等がありますが、大切なのは「メンバーの一人一人がその持ちうる能力を存分に高め、存分に発揮できる事=個々の能力の最大化」であると思います。この部分はある種の個人主義的な発想なので、この点では彼の考え方も理解できます。
しかし、能力最大化において重要なのは「モチベーション」、それも目の前にニンジンをぶら下げるような「外発的要因」よりも、使命感や夢、憧れのような「内発的要因」です。これには「明確なビジョン」への共鳴、共感も去ることながら、メンバー間の「信頼」も大きく影響します。
お互いによく知らない間柄では信頼関係を構築する事はおそらく無理でしょう。メンバー間の相互理解を図ると言う意味では飲み会も有効であると思うのです。ちなみに、私自身「飲み会」それ自体には(直接的には)「何の生産性も無い」と思っていますので、必要最小限で良いと思っています。月に何回も催されるのであれば・・・確かにウゼーッって感じです(爆)。
また、能力を最大限に生かし切るためには、メンバー間での情報共有も必要不可欠です。特に「報告・連絡・相談」は「有事」の際にも臨機応変に即応できる体制を「平時」から備えておくための知恵です。その情報が今すぐには自分に必要ないかもしれない・・・でも、予め知っておくことで組織全体の置かれている状況や、今後自分が担うべき業務についてもある程度見通しを得る事が出来るかもしれません。次に来る業務が予想できれば、予め準備しておく事もできます。遠い未来を見通す事は不可能でも、ちょっと先を見通して下準備が出来れば、業務の効率も上がる筈です。
もう一つ、人材育成についても述べておきましょう。最近、ふと気付いたことですが「優れた指導者は相手の長所を数えるが、愚かな指導者は相手の短所を数える」という事です。これは、私自身が後者のタイプの人々によって人格を否定され、個性を潰され、能力を減退させられた一方、前者のタイプの人々によって(自分でも気づかなかった)潜在能力を引き出された経験を数多く持っているからです。これまでの社会人生活で、私も様々なタイプの上司に仕えてきましたし、その一方、学習塾で生徒さんに教える立場を経験しています。だからこそ、学習塾でも私は常に前者(=優れた指導者)であることを心がけています。生徒さん一人一人の持っている可能性を引き出す事、ひいては生徒さん個々の能力の最大化につながるような指導を心がけています。
このように考えてみると、氷河期上司の彼の考え方はとても理解し易い面もある一方、組織としての脆弱さが否めないのです。社会的背景がそうさせた・・・という点では同情しますが、組織を束ねる立場としての勉強の必要性が否定できません。