◎暗夜について
(2006-08-23)
カトリシズムの巨星、十字架の聖ヨハネは、著書「カルメル山登攀」において、神との合一に至る直前の段階での、精神の暗夜には三夜あると説明する。マラソンで言えば、最後の直線のラスト・スパートの部分である。
この中身は、あらゆる神秘体験や神秘的ビジョンの正邪の見分け方、聖書の出来事の解釈の方向性など、示唆に富むものが多い。
第一夜
これは、感覚の暗夜と呼ばれるもの。すべてのものに対する欲求の楽しみつまり感覚的欲望から、心をはぎ取ってしまえば、霊魂は暗い何もない状態になる。これが第一夜。
観想の初歩にある人がこれに該当する。
第二夜
これは、精神の暗夜と呼ばれるもの。
精神の機能を、理性、記憶、意志の3種類と見て、信仰が進むにつれて、それぞれの機能に暗夜が到来する状態。
既に感覚からは暗夜状態であるが、さらに理性、記憶、意志についても暗夜を加えた状態。
つまり信仰、神というものは、決して理性でもって理解はできない。従って理性でもってアプローチすればするほど、信仰、神というものは、暗黒と観ぜられるのである。記憶、意志についても、核心に迫るほど暗夜に陥っていくことになる。
第三夜
これは夜明け前にあたる。第一夜第二夜においては、個人の魂が能動的に神を求めて進んで行った暗闇であったが、第三夜は、神から個人への働きかけが主となる受動的なものとなるのである。これも暗夜であり、神との一致以前である。
十字架のヨハネの著書「カルメル山登攀」においては、第一夜、第二夜は詳述されているが、第三夜はほとんど何も記述されないで終わっている。「神の御心の許されるままに」書き進めて行ったが、第三夜については、神の御心の許されるままに筆を置いたということになるようだ。
カルメル山登攀は、登攀の途中で終り、最後は自ら挑戦してみる方のお楽しみということになっている。