◎人にはすべて夢があり(老子狂言)
『人にはすべて夢があり
人にはすべて夢があり、
その悲しみは大きい。
あなたは、
かつて私に秘密を打ちあけた、
ささやき声で・・・
底力のあるささやき声で、
私は彼方の古里から来たものだが
今は、帰れないことになっているらしい。
すべてに宿る無限性を教えてくれた
アストラル界でのあなた———
最後の天使も、
今は、何処にいるのか?
私の
イトシイヒト
今、一度、やさしくも堂々と帰っておくれ。』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
【人にはすべて夢があり、
その悲しみは大きい。】
これは、欲望と絶望、不条理の堂々巡り。それが本当にいやになったところで先に進む。苦しみですらまんざらでもないと思っている人は多い。
【アストラル界でのあなた———
最後の天使】ダンテス・ダイジは、徹底した霊がかり排除である。いまだに、高級神霊を見たとか、霊がかかったとか、宇宙人に出会ったとか、霊がかり花盛りな人々もいる。そういう人々を横目に、ダンテス・ダイジが、高級神霊のポジティブなサポートに言及したのは、「観音に出会ったのはポジティブであったが、それだけのこと」みたいなニュアンスの話をしたことが一回あるきりである。
霊がかりは、どんなにハイレベルであっても、天国地獄を超えることはない。神仏は天国地獄の先にある。
【最後の天使】は、【私のイトシイヒト】だが、このテクノロジー全盛で、他人の悪意に寛容な地獄的な時代には、アストラル界の【最後の天使】が戻ってくれば混乱を助長するだけなのだろう。
万人が神知るみろくの世、至福千年に至って、すべての人が普通に霊があることを認めるようになってから、【私のイトシイヒト】が戻ってくるのではないか。