アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

今は、帰れないことになっているらしい

2025-02-06 07:15:08 | ダンテス・ダイジの風光

◎人にはすべて夢があり(老子狂言)

 

『人にはすべて夢があり

 

人にはすべて夢があり、 

その悲しみは大きい。

 

あなたは、

かつて私に秘密を打ちあけた、

ささやき声で・・・ 

底力のあるささやき声で、

私は彼方の古里から来たものだが 

今は、帰れないことになっているらしい。

 

すべてに宿る無限性を教えてくれた 

アストラル界でのあなた———

最後の天使も、

今は、何処にいるのか?

 

私の

イトシイヒト 

今、一度、やさしくも堂々と帰っておくれ。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【人にはすべて夢があり、 

その悲しみは大きい。】

これは、欲望と絶望、不条理の堂々巡り。それが本当にいやになったところで先に進む。苦しみですらまんざらでもないと思っている人は多い。

 

【アストラル界でのあなた———

最後の天使】ダンテス・ダイジは、徹底した霊がかり排除である。いまだに、高級神霊を見たとか、霊がかかったとか、宇宙人に出会ったとか、霊がかり花盛りな人々もいる。そういう人々を横目に、ダンテス・ダイジが、高級神霊のポジティブなサポートに言及したのは、「観音に出会ったのはポジティブであったが、それだけのこと」みたいなニュアンスの話をしたことが一回あるきりである。

霊がかりは、どんなにハイレベルであっても、天国地獄を超えることはない。神仏は天国地獄の先にある。

 

【最後の天使】は、【私のイトシイヒト】だが、このテクノロジー全盛で、他人の悪意に寛容な地獄的な時代には、アストラル界の【最後の天使】が戻ってくれば混乱を助長するだけなのだろう。

万人が神知るみろくの世、至福千年に至って、すべての人が普通に霊があることを認めるようになってから、【私のイトシイヒト】が戻ってくるのではないか。

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