◎九分九厘まで
昭和の大クンダリーニ・ヨーギ、出口王仁三郎の一言。
『九分九厘までは神様がつれて行かれるが、岸は人間が登らねばならない』
(新月の光(上巻)/木庭次守編/八幡書店P219から引用)
出口王仁三郎は36回の転生を繰り返したと語る。この地球での転生パックツアーでは、36回コースを選んで出発したわけだ。そのフィナーレか、それに近い1回が前回の人生。
出口王仁三郎は九分九厘の仕組みとよく言う。九分九厘までは、組織宗教の枠内で信仰を深めることで、九分九厘までは到達できる。最後の1厘は自分で登れと信者を叱咤する。
ところがクンダリーニの覚醒プロセスをみると、個人である自分が、最後の自分であるコーザル体が最後の1厘を登り切るメカニズムにはなっていない。コーザル体は、どういうタイミングかは知らないが個ではないアートマンに変わり、アートマンが昇るのである。
個が全体に成るとは、自分のすべてを捨てる、自分と自分の周辺の宇宙すべてが死ぬということ。世界は自分のためにあるのではなく、自分が世界のためにあるというシチュエイションにトランスフォームすること。
世上の組織宗教の枠内では、修行の過程では高級神霊のサポートがあると盛んに宣伝するが、この一言は、サポートがない局面が最終ステージにおいて到来することを予告しているもの。
最後の1厘は、個人に起こるのか、世界全体に起こるのか?