◎空海の十住心論-2
空海の十住心論の続き。
第六住心から第九住心までは、十界説で言えば、ほとんど菩薩のレベルだと思う。菩薩のレベルというのは、最低でも見性しているレベルである。ところが、空海は、第八住心までは迷い(無明)であるとする。
つまり見性しているからとりあえず良しとするわけではなく、まずは第十住心の秘密荘厳住心でないと、問題があると指摘している。
第十住心の秘密荘厳住心がニルヴァーナであるのは問題ないと思う。一方第九住心の極無自性住心が、唯一の世界(法界)であるとして、華厳経の毘盧舎那佛のことであるとしているから、アートマンのことと見れる。よってこの十住心論の10ステップのトップ2も、やはりニルヴァーナとアートマンを置いていると思う。
第六住心
他縁大乗住心
心の海は静まり、波立っていないが、迷いの風が吹くために、波風は立つ。天国も地獄も自分の心が作り出したのだということを知らないレベル。
悪を行わず、あらゆる種類の善を長年にわたり行い、菩薩の52段階の修行を積み重ねても、本来の悟りは、自分の心の中にあることを知らない人のことである。心とそれが認識する対象物が別の物だと思っているが、菩薩としての修行がかなりできている人のレベルである。
第七住心
覚心不生住心
概念的な認識(五辺)は、本質的なものでない。原因により生起した心は、それ自体の性質(本性)を持たず、空であり、仮の存在であり、中道であり、アプリオリに存在している。
しかし本来の悟りは、遥かな過去から存在しており、自然や、清浄という表現も不適当で、言葉の表現を離れている。
ここで心の本性が不変で、自由自在であることを知り、無益な議論をすることはなくなったが、まだ本来の悟りの入口に初めて立っただけだ。
第八住心
一通無為住心
空性は、感覚と対象を離れて、形もなく境界もない。こうした認識主体である心と認識される対象との対立をなくしたところに常寂光土(浄土)がある。しかしその対立をなくし、常寂光土へ至る手だてはない。依然として無明のままである。
第六住心の課題は、認識主体である心と認識される対象との対立があることだったが、ここでは、その課題を克服する認識はできたが、実践方法が見つからないレベル。
第九住心
極無自性住心
ここまで積み上げてきた認識や哲学を総合すると、現象(迷い)と実在(さとり)は、唯一の宇宙法界(法界=世界)におけるものであることになるが、これは、単なる客観的な世界観に過ぎず、哲学にすぎない。これでは依然として真の悟りではない。
第十住心
秘密荘厳住心
大日如来は、あらゆる仏と一つであって、迅速な力という三昧(トランス)に入り、自ら証した心理の世界の本体という精神統一を説くレベル。仏界に相当。
仏の位に入るとは、即身成仏のことで、大日如来と一体化することである。