アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

伊勢神宮の朽ちかけた時代

2022-12-28 15:37:50 | 古神道の手振りneo
◎宗派なき古神道

今をときめく伊勢神宮も、かつては20年おきの遷宮もままならず、屋根の雨漏りの修繕もできず、ご神体も雨露に濡れそぼつほどの、伊勢神宮存亡の危機の時代が百二十余年ばかりあった。

これは、室町後期における遷宮制度の中断で、外宮は、永亨六年(1434年)から永禄六年(1563年)、内宮は寛正三年(1462年)から天正十三年(1585年)の中断である。

遷宮の資金は、11世紀の白河天皇の御代から大神宮役工夫米と呼ばれる諸国向けの税金でまかなっていたが、建武の中興以後の動乱と人心荒廃により資金が集まらず、遷宮ができない状態に追い込まれていった。

正殿の床は悉く落ち、壁板も落ちたりひっかかったりしている程度。出座の御装束もズタボロ。御船代も腐ってご神体も雨露に浸るほど。

こういう地に落ちた伊勢神宮を拾い上げ上昇気流にのせるのは、きっと超能力でもばんばん使える風狂の道人くらいのものではないかと、安手のドラマを見すぎた頭には思い浮かぶ。ところがどっこい、これを救ったのは二人のオバさんなのだった。オバさんパワー恐るべし。

当時の内宮、外宮の役人は、遷宮は朝廷の事業だから尼さん如きが手を出すべきではないとつっぱっていたが、臨済宗神護山慶光院の清順尼は、朝廷と将軍の了解を得て諸侯に資金協力を求めた。時しも戦国であったが、これにより資金が集まり、外宮の遷宮が130年ぶりに挙行された。

120年も過ぎてしまえば宮大工さん金具屋さんの言い伝えも残ってはいないので、古い図面を見ながら、とりあえずの遷宮を行った由。

続いて清順尼の後継者の周養尼は、信長、秀吉から資金を集め、124年ぶりに内宮の遷宮を執り行った。
(参考:神宮式年遷宮の歴史と祭儀/中西正幸/大明堂)

これは伊勢神宮の死と再生。中断期間の1488年には山田の合戦で外宮正殿に放火する事件まであった。死せる伊勢神宮に手をさしのべる優しさは女性ならではのもの。一方で伊勢神宮の本質を理解していないと、再興のために綸旨を取り付けるまでの行動力は出て来るものではあるまい。

伊勢神宮参拝で、今はなにげなく渡る宇治橋も、もとは尼さんの勧進によるもの。伊勢神宮で執り行われる儀式にあっては、これより先は僧尼は入っていけないとか、尼さんは神職より下の扱いだが、それにもめげず、尼さんが神宮復興を目指したのは、彼女たちが宗派の枠を超えたパワーを承知していたということになるだろうか。宗派なき古神道ですね。
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