アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ババジ予言-2

2022-12-30 05:14:37 | 究極というものの可能性neo
◎核兵器すらも役に立たない

明治30年頃に出口ナオ、出口王仁三郎が、世界の終わりを白昼に見て、ババジが人類生存率の似通った世界の終末を1970年代末に見るまで約90年。この間、この世界のバランスはそう変わりはしなかったのだろう。

こういうのをメイン・シナリオと呼ぶ。ネガティブ予言は、とかく下層霊界、つまり地獄を霊視しているのだと敬遠されがちなのであるが、霊界にあった地獄がこの現実世界に移写されるのを見ているだけだとすれば、日々の我々の生活が地獄的な要素が相当あるから、そういう予言を目にするのだということになろう。

ババジ予言。
『「新兵器の開発で自国を救えると信じる国々は、この考えを捨てた方がよい。それは可能なことではない。皆、現在(一九八三年)のイランでの出来事を知っているだろう。以前は誰もホメイニの名など知らなかったが、彼は突然に欲するもの全てを手に入れた」

「革命の炎は現在世界に広がっている。この火を止め、熱を下げることのできる力はどこにもない。ロシアとアメリカのような超大国も、彼等の新兵器をもってさえ、この〔火〕に対抗することはできない。彼等の発明したものは何の役にも立たない。全ては破壊される」』
(ババジ伝/ラデシャム/森北出版P233から引用)

革命といえば、真っ先に共産主義革命をイメージする人が多いが、この革命は、自分が逆さまになることである。この革命では、武器や軍事力は使わない。自分がひっくり返るためには、ババジは、勇気と正義のために死ぬ覚悟が必要とする。

ババジは、何の保証もないが、勇気と正義のために死ぬ覚悟を求めているのだ。この革命は、精神の革命だが、それはすべてを破壊する火でもある。
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