◎メディテーション・トラベル・ガイドから
(2019-08-27)
未悟者から見れば、覚者の透徹した絶対的な孤独とあらゆるものが未知である現実感は、大きな違いである。そこを見過ごすと、次のダンテス・ダイジの救世主入門の一節は、単なる感想や戯言になってしまう。
『友人は君について
君の知人が
千年かかって知るより
はるかに多くのことを
出会いの一刹那で知るだろう
君が愛人と出会う時
そこには
どのような意味での
必要も偶然もない
時を忘れた時の中で
君は思い出すだろう
愛人との
いくたびもの戯れのすべてを』
さらに、次のような謎の一節も置かれている。
『さようならの時に
うろたえてはいけない
別れは
再びめぐり逢う前に
なくてはならないものだから
そして
再会の時は必ずやってくる
君とその友人のために
ある時間を経て
いくつかの人生を巡った後に
必ずやってくるものだ』
輪廻転生を語る場合、AさんがA‘さんになるなどという無機質な議論をしがちだが、それはそれ。
人は、気の合った愛人や友人にいつでも接して過ごしたいものだ。愛はその流れであり、それも自由の一つの現れである。
ほとんど何もしなくて済む人生もあれば、争闘や試練の連続的な繰り返しの人生もあり、幸運な人生だから長命であるとは限らず、不運な人生だから短命であるとも限らない老少不定。そこを問題にしない見方、生き方があることを、救世主入門は時間のない世界からナビゲートしてくれる。
耳障りな部分も味わってみよう。