◎古人は混混、今人は紛紛
藍采和は唐末から五代にかけての人物。
いつも藍色の長衣を着て、幅三寸の帯を巻き、片足にしか靴をはかず、夏は破れた綿入れを着て、冬は雪の上で眠っても全身から湯気が立っていた。
『いつも城内に物乞いに出かけ長さ三尺の板(拍子木)を鳴らして、
「歌いながら踊る、藍采和、世界にどれだけの価値がある。紅顔は一春の樹、流光は一擲の梭(さ)、古人は混混として去りて返らず、今人は紛紛として来たりて更に多し・・・・」と歌いながら物乞いしていた。歌には仙意がたっぷりと盛り込まれているが、口から出まかせに歌っているだけであった。
それでも老若男女を問わず惹き付けられ、ずっと藍采和について歩くとともに、多額のお布施をした。藍采和は集まった銅貨を縄に通して背中にぶら下げていたが、縄が切れて銅貨が散らばってもまったく意に介さなかった。
もらった銅貨を貧しい人やいつも通っている店に贈ったりしながらあちこち放浪したが、どんなに年月がたっても少しも老いることがなかった。』
(道教故事物語/褚亜丁・楊麗編/青土社から引用)
この後、藍采和は、酒屋で酒を飲んでいるときに、空からやってきた仙鶴に乗って白日昇天する。
雪の上で眠っても身体から湯気が出るのはツンモだろうが、冥想により内分泌腺を活発化させることでできるものであって、坐り慣れた人の業である。
歌を歌いながら無常を説き、貧窮も気にせず、金銭に恬淡としているのは一休宗純を思わせる。昔はこんな人を単に狂人と思っただけで済ませられたが、いまは一個の成道者としてリスペクトすると同時に、そんな人に出会うことを、この世のドラマを見切って藍采和と同じ世界から生きるきっかけとしなければならないと思う。
藍采和は唐末から五代にかけての人物。
いつも藍色の長衣を着て、幅三寸の帯を巻き、片足にしか靴をはかず、夏は破れた綿入れを着て、冬は雪の上で眠っても全身から湯気が立っていた。
『いつも城内に物乞いに出かけ長さ三尺の板(拍子木)を鳴らして、
「歌いながら踊る、藍采和、世界にどれだけの価値がある。紅顔は一春の樹、流光は一擲の梭(さ)、古人は混混として去りて返らず、今人は紛紛として来たりて更に多し・・・・」と歌いながら物乞いしていた。歌には仙意がたっぷりと盛り込まれているが、口から出まかせに歌っているだけであった。
それでも老若男女を問わず惹き付けられ、ずっと藍采和について歩くとともに、多額のお布施をした。藍采和は集まった銅貨を縄に通して背中にぶら下げていたが、縄が切れて銅貨が散らばってもまったく意に介さなかった。
もらった銅貨を貧しい人やいつも通っている店に贈ったりしながらあちこち放浪したが、どんなに年月がたっても少しも老いることがなかった。』
(道教故事物語/褚亜丁・楊麗編/青土社から引用)
この後、藍采和は、酒屋で酒を飲んでいるときに、空からやってきた仙鶴に乗って白日昇天する。
雪の上で眠っても身体から湯気が出るのはツンモだろうが、冥想により内分泌腺を活発化させることでできるものであって、坐り慣れた人の業である。
歌を歌いながら無常を説き、貧窮も気にせず、金銭に恬淡としているのは一休宗純を思わせる。昔はこんな人を単に狂人と思っただけで済ませられたが、いまは一個の成道者としてリスペクトすると同時に、そんな人に出会うことを、この世のドラマを見切って藍采和と同じ世界から生きるきっかけとしなければならないと思う。