◎仙人出現を招く
(2007-04-07)
始皇帝の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良である。張良はもともと病弱であり、漢の統一成った後、一年以上外出せず、穀類を食べず、導引を行って養生に努めていた時期がある。
張良は、秦に滅ぼされた韓の五代の王に仕えた宰相の家の生まれであり、私財を投げ打って始皇帝を暗殺しようと、大力の士を雇い重さ120斤の鉄槌を作り、その機会を窺っていた。
始皇帝が東に行幸している時、河南省博浪沙で、張良と大力の士は襲撃を敢行した。ところが失敗して、鉄槌を始皇帝の属官の車に当てただけに終り、以後始皇帝により全国指名手配されることになった。
そうした中で張良は、名前を変え、江蘇省下邳に逃亡、潜伏していた。ある日下邳の町をぶらぶらしていると、粗末な身なりの老人が張良の前でわざと靴を橋の下に落とし、「小僧、おりていって、靴をとって来い」と命じた。
張良は、びっくりして、とんでもないことを言うじじいだ、ぶん殴ってやろうと思ったが、年寄りのことだしと、ぐっと我慢して橋の下まで靴を取りにいって老人のところに持ってきた。
老人は、「その靴を履かせろ」というので、ここまで我慢してやったから我慢ついでに履かせてやろうと思い、履かせてやった。
すると老人は笑って立ち去った。張良は意外な展開でちょっと当惑したけど、目礼で見送った。老人は400メートルくらい行ってから戻って来て、「小僧、いいことを教えてやろう。五日後の早朝にわしとここで会え」
五日後の早朝に張良が橋にやってきてみると、老人は既に来ており、「老人と約束して遅れるとは何事だ。出直して来い。また五日後の早朝に会おう」
また五日後に張良は夜中に出かけた。しばらくすると老人もやってきて、「こうこなくてはいけない」と喜んで、懐中から一篇の書を取り出して、「これを読めば、王者の軍師になることができるだろう。十年たって興隆し、十三年にお前はわしに会うだろう。わしは、山東省の穀城山の麓にある黄石だ」とだけ言い残して立ち去った。この書は太公望呂尚の兵法書であった。
この話は、仙人の方が張良に、わざわざ義理を作ってあげて、太公望の兵法書を与えることで借りができないような配慮をしてくれていることがうかがえる。逆にこの仙人を呼び出すことになった深い願望が張良にあったとも見ることができる。
また太公望の兵法書は、三略であるとも言われ、出版されているが、これを読んでも誰でも帝王の師となるわけではない。