◎至道の精、窈窈冥冥たり
(2015-09-08)
荘子の在宥篇から。
帝王である黄帝が引退し、師匠の広成子に会ってアドバイスを受けるために、個室を作り白茅を敷き、そこで3か月間精進潔斎した。そこで、再度広成子に質問をした。「どうすれば、長久たり得るでしょうか」と。
すると広成子は、以下のようにアドバイスした。
「至道の精、窈窈冥冥たり
至道の極、昏昏黙黙たり
視ること無く 聴くこと無く
神を抱きて以て静ならば、形将(まさ)に自ら正しからんとす」
至道の精は、奥深くぼんやりしている
至道の極は、ひっそりとして暗く静かである
見るでもなく、聞くでもなく
神を抱いて、静ならば、その肉体は、自ずから正しく矯正していくものだ。
静であって清であって、自分の肉体を労することなく、自分の精神を動揺させることがなければ、長生できよう。
目に見るところなく、耳に聞くところなく、心に知るところなければ、自分の精神は肉体を守ろうとするだろう。そこで肉体は長生するのだ。
上記の「目に見るところなく、耳に聞くところなく、心に知るところがない」とは感覚刺激を超えてはいるし、想念も停止している。想念停止とは、時間のない世界であるから、ここで云う長生とは、老人になって長生きすることを指すのではない。永遠に生きることを言っているように思う。
肉体の話にしないと、とっかかりがないからね。