◎道を伝授する相手を何十年も待つ
(2020-11-05)
孔元方は許昌の人。百歳になっていたが、茯苓などを服用していたため40代くらいにしか見えなかった。ある時大勢で酒を飲む機会があったが、彼は杖を立てて片手で杖を握って、身を翻して宙に逆立ちをしたまま反対の手で杯をとって酒を飲んで周囲の人を大いに驚かせた。
また、孔元方は寡欲であって、妻子もあったが、金品を貯蓄することもなく、彼の失火で自宅が火事になった時も、消火もせず、家財を持ち出す手助けもせず、垣の下にうずくまって見ていただけだった。
彼は、ある河のほとりに土窟を掘って、そこで3か月ほど断食を続け、その後自宅に帰っていった。土窟の前には柏の木が生えていた上に、雑草が茂って入り口を隠していたので、世間の人は土窟の存在を知らなかった。彼の弟子でも彼を捜しに行っても土窟を見つけられず空しく帰っていったそうだ。
さてここに仙道好きの憑遇少年がいて、何とかして孔元方に会ってみたいものだと思い、一生懸命に探したところ、かの土窟を見つけることができた。孔元方は、ここを見つけるだけでもよくよくの仙縁があることだと高く評価し、道の秘訣が書いてある素書二巻を授け、心して読むようにと語った。
さらに、この40年後になったら他人に道を授けてもよい。ただし、40年たったからといって誰にでも道を授けてもよいわけではない。その時に道を授けるのにふさわしい人物に遇わなければ、授けてはならない。その場合、80年目に二人の人物に同時に出会うことがあるだろう。
一体、授けるべき仙縁のある者にあっても惜しんで授けない場合、これを天道を閉じるといい、一方授けるべきでない人間に妄りに授けるのを天道を泄らすといって、その罪は子々孫々まで及ぶ。これをわきまえて決して誤るようなことをするな。自分のお役目はこれで済んだから、これから仙界に帰ると言って西岳に登っていった。
覚者は、その得た道を後継者に引き継がない限りは、生き続けなければならないの法則は、禅などとも同じ。伝授する相手は、金を見返りにするのでもなく、入門して何年たったからでもなく、義理のある筋から頼まれたからでもない。準備ができた者、それを受けるにふさわしく成熟した者だけが相手となる。