◎時間について意識する
人間は、時間について意識的になった。誰もがスマホや腕時計を持ち、テレビの時刻表示やPCの時刻に目をやり時刻を気にする。
古代人はここまで時間を気にすることがなかった。要するに物質文明が発達すればするほど、時間を意識するようになる。
時間を意識し、効率的に時間を使うことで、古代なら何日もかかったようなことを、場合によっては、数分あるいは一瞬のうちに完了することができる。
ところが、実はその一瞬で、人は何千年、何万年を旅行することすらできる(パノラマ現象)。
この偉大な旅ができるのだけれどもやっていない。何回もの人生を飛び越して一気に終着点まで行けるのだが、行けていない、行っていないという悔恨。
このことを言葉にすれば、人は「自分は悟っている可能性を有するが悟っていないことに気づいている」ということになる。
本当にその可能性に気づいていれば、悟る方法や悟らせてくれる学校や師匠をググッたりする。坐禅やマインドフルネス瞑想で悟れると聞けば、やってみたりするが悟れない。
何をしても何も起こらずそのゴールにはたどり着けない。この葛藤と絶望で、自殺や精神病が起こる。一休も自殺未遂2回。
そこでさらにオープンマインドにし、起きていることに気づいているようにすると、アレが起こることがある。
酔わずに醒めているとは、意識的であるということ。無力感と無意味感と絶望と葛藤にあっても、ある行法・技法に沿って坐る。
ついこの間まで、人は悟っていないことを自覚していなかった。ところが、文明の発展でライフスタイルが変わり、時間への意識向上という意識拡大により、悟っていないことを自覚した現代人は、いまや覚醒に向かうしかないのだ。