◎格言3-12見性においては(老子狂言)
『12○
見性においては、
あなたは、
限りない「何ものか」が、
あなたと一体不二であったことを体験する。
それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆発と称せられるものだろう。
私は、絶対無の光明とあらゆる多様多元の宇宙が、何もかもが私だったことを生きていたことを知った。
・・・そして、それも忘れ果てることだろう。』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩文から引用。
【見性においては、】【体験する】自分が残っている。
見性なのに、【それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆発と称せられるものだろう。】
と突っ込んだことを言っているが、
【体験する】自分が残っている。