唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

浙江東道都団練観察使 浙東節度使 その1

2012-06-04 10:43:03 | Weblog
・浙江道を東西にわけ、蘇州・潤州など穀倉地帯を浙西、福建に続く起伏の多い海岸地帯を浙東とする。
福建道のような貧困地帯ではないが山岳も多い地域である。常に越州が使府である。
・乾元元年[758年]浙西と同時に越州に浙江東道節度使が置かれ越睦衢婺台明處温八州を領した。
文官の節度使である。
・寶應元年[762年]台州の賊帥袁晁が自立して皇帝と称し浙東諸州を陥した。唐朝は財源である浙江のことであり、
副元帥李光弼麾下薛兼訓の軍を南下させたが、水軍と連携した反乱軍に苦戦し、廣徳元年[763年]までかかって平定した。
・大暦14年[779年]財務官僚韓滉が浙西・浙東・宣歙を併領し、建中年間の河北・關内の戦乱の軍費を供給した。
・建中2[781年]その功績により滉は使相・鎭海軍節度使となった。
・貞元3年[787年]滉が卒すると、強大な鎭海軍は三分され浙東には都団練観察使が置かれ、皇甫政が赴任した。