・秦州は隴右節度に属し、安史の乱後は長らく吐蕃に没していたが、吐蕃が潰乱したため
大中3年[年]鳳翔李玭が収復し鳳翔の所管とした。
・しかしすっかり荒廃し異民族が放牧する地域であり、混乱する吐蕃情勢に対応するため
大中6年薛逵を秦成経略天雄軍使として屯田し防禦にあたらせた。
・その後光弼の孫李承勳/承が経略使を嗣ぎ、吐蕃酉長尚延心が河渭二州をもって来降した。
承勳はこれを謀殺して私利を得ようとしたが諸將に反対され原に転じた。
・その後高駢(崇文孫)が嗣ぎ、咸通4年[年]王晏實(智興子)が天雄軍觀察使となり鳳翔
より独立した。
・咸通7年吐蕃の叛将拓抜懷光が来寇したが延心はこれを撃滅し、吐蕃は完全に潰乱し姿を消した。
大中3年[年]鳳翔李玭が収復し鳳翔の所管とした。
・しかしすっかり荒廃し異民族が放牧する地域であり、混乱する吐蕃情勢に対応するため
大中6年薛逵を秦成経略天雄軍使として屯田し防禦にあたらせた。
・その後光弼の孫李承勳/承が経略使を嗣ぎ、吐蕃酉長尚延心が河渭二州をもって来降した。
承勳はこれを謀殺して私利を得ようとしたが諸將に反対され原に転じた。
・その後高駢(崇文孫)が嗣ぎ、咸通4年[年]王晏實(智興子)が天雄軍觀察使となり鳳翔
より独立した。
・咸通7年吐蕃の叛将拓抜懷光が来寇したが延心はこれを撃滅し、吐蕃は完全に潰乱し姿を消した。