唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐宦官伝 魚朝恩 その4

2024-11-28 09:59:08 | Weblog

郭子儀と朝恩の接近は、代宗皇帝や宰相元載に危機感を抱かせた。対外的に子儀を排除できない代宗は朝恩の処理を本気で考えるようになった。

大曆四年[769]二月
京兆府の好畤、鳳翔郡の麟游、普潤縣を神策軍の所有とした。朝恩の勢力拡大である。

大曆五年[770]正月
觀軍容宣慰處置使左監門衛大將軍兼神策軍使内侍監として朝恩は禁兵をにぎり、軍事を專掌した。

朝恩はしばしば時の政治を批判し侮った。宰相王縉は怒りを示したが、元載は薄笑いを浮かべて沈黙するばかりであった。

朝恩は麾下の神策都虞候劉希暹や都知兵馬使王駕鶴に禁軍に獄を置かせて,坊市の惡少年をスパイとして富豪を告発させて捕らえ、財産を巻き上げた。

また上奏するものは自分を経由させ、従わない者は弾圧した。

代宗はこれを聞き、極めて不満だったが、禁兵を握られているため軽々には動けなかった。

朝恩の養子令徽はまだ幼く、内給使として綠衣[六位以下]であったが仲間と争い朝恩に泣きついた。
朝恩は代宗に「我が子は官位が低いため馬鹿にされます、紫衣[三位以上]を与えて下さい」と強要した。さすがに代宗は認めなかったが、朝恩は勝手に令徽に紫衣を着せて拝謁させた。
代宗は「結構似合っているな」とは言ったが極めて不満であった。

宰相元載は代宗の意志を受けて朝恩を陥れようと画策した。

しかし朝恩は入殿するとき、射生將周皓に百人を率い護衛させており、その麾下陝州節度使皇甫温に外部から支援させていた。

そこで載は周皓・皇甫温に重賂を贈り、裏切らせたが、増長していた朝恩は気づかなかった。

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