唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

天復二~三年 西暦902~3年

2020-08-31 10:00:59 | Weblog
天復二年 西暦902年
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昭宗は宦官・茂貞に拉致されて鳳翔城にいて、茂貞軍は劣勢で全忠軍が包囲しています。

二月、王建陷利州,昭武軍節度使李繼忠奔於鳳翔。
建は全忠に附き、背後から茂貞を攻撃します。建は常に火事場泥棒的な行動をします。

三月癸丑,朱全忠陷汾州。陷慈、隰二州。丁卯,李克用陷汾、慈、隰三州。
克用は全忠の背後を襲おうとしますが、全忠軍に大敗し本拠地太原まで侵攻されてしまいます。克用は太原を棄てて逃げようとしますが、周囲に止められなんとか踏み止まります。全忠軍もあまりに深く入りすぎたため退却します。しかし克用はすっかり意気消沈してしまいました。

五月丙午,李茂貞及朱全忠戰於武功,敗績。朱全忠陷鳳州。七月甲辰,陷成州。乙巳,陷隴州。
九月戊申,李茂貞及朱全忠戰于槐林,敗績。
全忠は茂貞軍を次々と破り、属州をとって鳳翔を孤立させていきます。

八月辛丑,王建陷興元,山南西道節度使李繼密、武定軍節度使拓拔思恭叛附于王建。王建陷興州。
建も共同して茂貞を締め上げます。繼密は茂貞の子です。

十一月癸卯,保大軍節度使李茂勳以兵援鳳翔。全忠軍陷鄜州,李茂勳叛附于全忠。
最後の頼みの綱の茂勲も全忠に降りました。
鳳翔は周囲との連絡を絶たれて飢餓状態となりました。

天復三年 その1  西暦903年
正月丙午,平盧軍節度使王師範取兗州。
突然、淄青節度師範が全忠を各所で攻撃し、將劉鄂は兗州を取りました。それに驚愕したのと鳳翔を包囲していた全忠軍も冬季の困難な戦いの継続は苦しく和議が進みました。

正月戊申,殺左右神策軍護軍中尉韓全誨張彥弘、内樞密使袁易簡周敬容。甲子,幸朱全忠軍。
宦官幹部達が責任を取らされて殺され、昭宗は全忠に引き渡されました。宰相崔胤も復権します。

正月庚午,崔胤及朱全忠殺中官七百餘人。辛未,胤判六軍十二衛事。
胤は念願の宦官絶滅を実行しました。昭宗の意志ではありません。各地の監軍宦官も一部を除き殺されました。禁軍は胤が管轄[といっても実体はありませんが]します。

二月甲戌,貶陸扆貶沂王傅,丙子,王溥罷。殺蘇檢、盧光啓。
茂貞派の宰相達が処分されていきます。

己卯,輝王祚為諸道兵馬都元帥;庚辰,朱全忠為太尉、中書令副之。
全忠が正式に軍権をにぎりました。

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