人生から取り除くべき瓦礫 その3
数年前、一つ問題である人と何度も繰り返して話し合う機会がありました。
話し合いを繰り返すうち、わたしの中に相手に対して疑いが生じてきました。
「悔い改める気持ちがないのでは?」と感じたのです。
そんなある夜、夢の中で「ヨナから学びなさい」と言われました。
ヨナは主からニネベの人々に悔い改めを告げるように命じられましたが、
彼らが悔い改めると信じることができず、その召しから逃げようとしました。
(この話からいつも36年前のステーク会長の一言を思い出します)
信じることができないのは‟赦せない心”に通じます。
結果的に彼は逃げることができず、やむを得ずニネベに向かいました。
どのようなことが起きたでしょうか。
ニネベの人々は悔い改めました。
しかしヨナはそのことも赦せませんでした。
さて、ヨナは自分の‟赦せない心”に気付いていたでしょうか。
わたしは‟赦せない心”に気付いていませんでした。
気付かなければ、どうやってそれを取り除くことができるでしょうか。(マタイ7:1~5)
教会に入った当時、
「人ではなく、神を見て信仰するように」と何度も繰り返し教えられました。
その真の意味が理解できるまでに何年もかかりました。
こういうのを‟かたくなな心”というのでしょうね。
それに気付いた時には大変でした。
受け入れることはとても辛く、苦しいほどの後悔でした。
そして、改めるのはとても難しいことでした。
それでも一つの証を得ました。
御霊が心に悔い改めを命じるのは、‟悔い改める準備のできたとき”です。
そのときから「瓦礫」の整理が始まりました。
残念ながら、まだ‟山積み”ほどに残っていますけど w
数年前、一つ問題である人と何度も繰り返して話し合う機会がありました。
話し合いを繰り返すうち、わたしの中に相手に対して疑いが生じてきました。
「悔い改める気持ちがないのでは?」と感じたのです。
そんなある夜、夢の中で「ヨナから学びなさい」と言われました。
ヨナは主からニネベの人々に悔い改めを告げるように命じられましたが、
彼らが悔い改めると信じることができず、その召しから逃げようとしました。
(この話からいつも36年前のステーク会長の一言を思い出します)
信じることができないのは‟赦せない心”に通じます。
結果的に彼は逃げることができず、やむを得ずニネベに向かいました。
どのようなことが起きたでしょうか。
ニネベの人々は悔い改めました。
しかしヨナはそのことも赦せませんでした。
さて、ヨナは自分の‟赦せない心”に気付いていたでしょうか。
わたしは‟赦せない心”に気付いていませんでした。
気付かなければ、どうやってそれを取り除くことができるでしょうか。(マタイ7:1~5)
教会に入った当時、
「人ではなく、神を見て信仰するように」と何度も繰り返し教えられました。
その真の意味が理解できるまでに何年もかかりました。
こういうのを‟かたくなな心”というのでしょうね。
それに気付いた時には大変でした。
受け入れることはとても辛く、苦しいほどの後悔でした。
そして、改めるのはとても難しいことでした。
それでも一つの証を得ました。
御霊が心に悔い改めを命じるのは、‟悔い改める準備のできたとき”です。
そのときから「瓦礫」の整理が始まりました。
残念ながら、まだ‟山積み”ほどに残っていますけど w