モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

瓦礫(その1)

2021-05-11 06:05:04 | 総大会
次の安息日にお話の責任をいただきました。
テーマはネルソン大管長の歓迎の言葉(総大会)から「人生から取り除くべき瓦礫」です。
よろしければしばらく間お付き合いください。


人生から取り除くべき瓦礫 (その1)

わたしにとっての「瓦礫」は”赦せない心”です。

幸せな人の表情を思い浮かべてみてください。
そこに”赦せない心”が見えますか?
‟赦せない心”のある顔に幸せが見えると思えますか?

‟赦せない心”はわたしにとって、巧妙なサタンの罠です。
その思いのあるときは常にこう考えていました。
「これは相手の問題であり、相手が悔い改めるべき問題」
つまり‟自分の問題ではない”ということです。

どうしてネルソン大管長は「分かるように祈る」ことを勧めたのでしょうか。
罪に気づかなければ悔い改めることはできません。

これまでの人生を振り返るとき、‟赦せない心”はわたしにとって
主の道を歩むための大きな邪魔、大管長の言葉通り「瓦礫」でした。

36年前、広島県で教会に入りました。
当時のわたしは「こうであるべき」という考えに捕らわれていました。
その思いと違うことに対して‟赦せない気持ち”があったのです。

長くなるので、この続きはまた明日書きます。
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神の敵

2021-05-11 06:04:11 | モルモン書
「その者は神の敵であって」モーサヤ16:5


「神に従ってはいないけれど、神に敵対しているわけではない」と聞くことがあります。
中立の立場ということでしょうか。
「これが‟サタンの巧妙な罠”である」と聞いたことがあります。

救いの条件は‟主に従う”ことです。
「神に敵対していなければ救われる」という教えはどこにも見たことがありません。

サタンは自分の存在を隠すことで人を欺くと言われます。
「サタンに従っているわけではない」という考えを
人々の心に入れることがサタンの罠であるようです。

「その者は神の敵であって」と言われると、そのような人々はこう問うことでしょう。
「わたしたちが悪人だというのですか?」

皆さんはどう考えますか?
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