モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

瓦礫(その4)

2021-05-15 05:41:20 | 総大会
人生から取り除くべき瓦礫 その4

悔い改めて「二度と同じ罪を犯さない」と決心した人を
赦すことはさほど難しくないように思えます。

ところが、赦すことによって
「これから先も同じことをしても許してもらえる」と誤解されたら…
皆さんはどうしますか?
「主はそのような人を贖うことができない」と聖文には記されています。

「赦し」と「許し」を混同しているのです。

その人を愛しているなら過去の罪は「赦す」ことでしょう。
愛しているなら罪を繰り返すことは「許さない」はずです。
それは‟親が子供に対して”行うことです。

「そのような人は赦すべきでない」と思いますか。
そうすると心の中に「瓦礫」を抱えたままになるかもしれません。
これはとても難しい問題であって、‟躓きの石”でもあります。

ではどうしましょうか?

それでも、できるところからから「瓦礫」を整理し片づけて処分し捨ててゆきます。
主がそう命じられているので、進めてゆくうちに何らかの解決法が見つかることでしょう。

わたしにとって‟今片づけられる瓦礫”は、まだたくさん心の中に残っています。
そこら辺を掘り返すと次々に出てくるのでキリがありません w
まずはそこから…
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このくらいなら

2021-05-15 05:39:32 | モルモン書
「善と悪を知りながら」モーサヤ16:3


福音に出会う前のわたしがまさにその通りでした。
その心には「このくらいなら許されるでしょ」という思いがありました。

ドラえもんを皆さんもご存知と思います。
その中で「シズカちゃんのお風呂のシーン」がよくありました。
誰もが「このくらいなら」と思っているのではないでしょうか。
物語全編がその場面だったら、きっと”非難轟々”でしょうね w

ところで、それを見て育つ子どもたちはどうでしょうか。
もしかすると全編がそうであっても「このくらいなら」と思ってしまうかもしれません。

教会の中で誰かが「このくらいなら」と思って行動するなら、
福音に出会ったばかりの人は「それはOK」と勘違いしてしまうかもしれません。

子どもたちはよくこう言います。
「あれがOKなら、これもOKでしょ?」
大抵、「あれ」よりも「これ」の方がちょっとだけ問題が大きいようです。

それが‟サタンの誘惑”の常套手段だと教えられました。

皆さんはどう思いますか?
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