モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

正解と結果

2021-05-07 06:11:46 | 福音について
「正解」ではダメなのでしょうか?

正解を求めるのは善いことだと思います。
でも正解で終わってしまったら、どうでしょうか。

学校のテストでは正解が求められます。
社会ではそれに加えて結果が求められます。
教会ではどうでしょうか。

もしも福音の教えが‟机上の空論”に見えるとしたら、それは問題ではないでしょうか。
実践が伴っていないということかもしれません。

「イエス・キリストは救い主であり、
その教えに従うことにより永遠の救いを受けることができる」
この教えは正しいと思います。

でもわたしはそれだけで満足することはできません。
その‟結果”を自分自身で受けたいと望んでいます。

誰かの言葉にこうありました。
「知らないことを追い求めるのは善いことだが、
知っていることを行うことの方がはるかに価値がある」
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シナプス

2021-05-07 06:09:23 | モルモン書
「よきおとずれを伝え(る)…者の足は山の上にあって何と麗しいことであろう」モーサヤ12:21

わたしに‟よきおとずれ”を伝えてくれたのは宣教師です。
彼らの残してくれた足跡は今も心の中にはっきりと見えます。
それはわたしにとって、今も”主の救いが湧き上がる泉”のようです。

これはわたしがこの聖句から感じることです。

どうしてそのような解釈になるのかと尋ねられるなら、次の三つ(+1)の聖句でしょうね。
「義は主の御前を行き、その足跡を道とする」詩編85:13
「山の上にある町は隠れることができない」マタイ5:14
(山の上に旗ひらめき 世界になびくを見上げよ 讃美歌#2 山の上に)
「モルモンの泉(は)…贖い主を知るようになった人々の目には何と麗しいことか」
モーサヤ18:30

細かい説明は省きますが、聖典に記された言葉はすべてで一つとなります。
シナプスのようにすべてをつなげることによって、見えてくるものがあるように思えます。

皆さんはどう思いますか?
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