モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

思いやり

2021-05-20 05:46:47 | 総大会
思いやりは、情緒的、霊的、そして物質的にも心を癒すことができます。
(一つに結ばれた心 スティーブンソン長老)

‟思いやり”を感じるのはどんなときでしょうか。

なんでも気楽に話せて、受け入れてくれる
周りのことを見ていて、気遣ってくれる
失敗を責めず、親身になって助けてくれる

そんな人と一緒にいると、ホッとしませんか。

思いやりゆえのウソとか、思いやりゆえの厳しさもあります。
見た目にはそう見えなくとも思いやりの深い人もあります。

それって愛とよく似ているように感じます。
愛と思いやり、少し違っているような気もするけれど、
あえて区別する必要もないように思います。
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御霊とサタン

2021-05-20 05:45:09 | モルモン書
「王は…恐れた…、王は怒りをかき立てられ…た」モーサヤ17:11

初めて福音を聞いたときには受け入れる気持ちがあったのに、
その後に他の人からの言葉で福音を拒むようになるケースは少なくありません。
宣教師の皆さんは思い当たることがあるではないでしょうか。

ノア王は一度は御霊に感じてアビナダイを釈放しようとしました。
しかし、祭司たちの言葉は御霊を打ち消してしまいました。

御霊に感じた心が人の言葉によって翻されることは珍しくありません。
いえ、その前に自分の内に生じた疑念によって打ち消してしまうこともあります。

善い思いを感じた後に「でも…」とか、
「やっぱりやめておこう」とか感じたことはありませんか。
それはまず間違いなくサタンの思いです。

逆に、悪い思いを感じた後に「でも…」とか、
「やっぱりやめておこう」とか感じたことはありませんか。
それは御霊だと思います。

わたしたちの心の中ではいつも御霊とサタンの思いが戦っているようです。

子どもの頃、「トムとジェリー」のアニメが大好きでした。
トムの頭の左に悪魔が、右に天使が現れて、
その間でトムが迷っているシーンをなぜか覚えています。

どちらもトムの姿をしていました。
つまり‟どちらも自分”ということでしょうか。
いいえ、その間で迷っているのが自分です。
そしてどちらでも自分で選ぶことができます。

皆さんはどう思いますか?
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