モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

試練

2021-10-25 05:01:54 | わたしに従って…
神は決して離れてはおられない
(わたしに従ってきなさい 10月24日)


福音に出会った頃は、主に従えば平安で穏やかな、幸せな日々が過ごせると思っていました。
その願いは今も変わりません。
振り返ってみれば、祝福もありましたが、試練もありました。

試練のある道と試練のない道、どちらを望みますか。
試練のない穏やかな道を望んでいるのですが、
残念ながら主の御心は違っているようで、永遠のためには試練も必要のようです。


試練の中では苦しみに目が向いてしまい、主を見る余裕が失われてしまいます。
主の姿を探そうとしても見つけることができないのです。

そんなときにイエスの言葉が心によみがえります。
「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46


今回の総大会でクック長老はこのように話しました。
「苦難は主の不興を買ったり,
祝福が取れ去られたりしたことの証拠ではないことが分かります」
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喜んでよい理由

2021-10-25 04:52:22 | モルモン書
「あなたは幸いである…喜んでよい十分な理由がある」アルマ8:15


高校の時、化学の教師で面白い人がいました。
彼の作るテスト問題はとても難しく、どんなに優秀な生徒でも
百点満点中の20点取れれば奇跡で、わたしはいつも10点前後と散々な結果でした。

それでも彼は誰にも赤点をつけることはありませんでした。
なぜそんなテストなのか尋ねてみました。

「このテストはね、普段授業で行っている実験が
何の役に立つのかを知ってもらうためのものなんだ」

彼の説明を高校生のわたしには理解できませんでした。
「テストの意味が違っている」と思ったものです。


「いくら頑張っても結果が伴わなければ意味がない」とつい考えてしまいがちです。
昇栄の条件をそのように誤解している人もあります。

アルマは心を尽くして祈り、御霊を求め、働きました。
結果は散々でテストの点数にすれば零点でした。

彼は「悲しみに打ちひしがれて」しまいました。
彼の働きは間違っていたのでしょうか。

そんな彼に天使は「喜んでよい十分な理由」を教えました。
わたしたちには‟喜んでよい理由”があるでしょうか。
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