モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

信仰の試し

2021-10-10 05:55:10 | わたしに従って…
信仰に対する確信や安心を抱き…その後…苦難によってその信仰が試され…平安を取り戻そうともがいたことがありますか。
(わたしに従ってきなさい 10月10日)


初めて福音を知ったとき「素晴らしいものに出会った」と喜びました。
「その喜びは生涯続く」と思っていました。
それが勘違いであると分かったのは、それからほどなくしてのことです。

先ず、違和感から始まりました。
教会の人々を見るときに、みんながみんな喜んでいるわけではないと気付いたからです。

やがて自分にも同様のことが訪れました。
信仰の試されるときが来たのです。


「こんなはずではない」と思いました。
‟信仰が試される”ことは聞いていましたが、それは想像もしていない出来事でした。

福音に出会ったときの確信が頼りでした。
周りにその悩み苦しみを理解して助け励ましてくれる人があったことは救いでした。
それでもその経験は苦難でした。
‟平安を取り戻そう”ともがきました。


海の潮が満ちた後に引いて行くように、
やがてそのときは過ぎ去り、‟福音への確信”が戻ってきました。

それからしばらくすると、また信仰の試しは訪れました。
まるで潮の満ち引きのように、未だにそれは続いています。
たまには小さく、たまには大きく、
静かに訪れるときもあれば、あるときは台風の高潮のようであったりもします。

きっとこれからも繰り返されるのでしょう。
それには何の意味があるのでしょうか。
まるで海の波によって岩が削られて行くように、
ほんの僅かずつですが変化を感じています。
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神から出るもの

2021-10-10 05:05:18 | モルモン書
「善いもの…神から出、悪いものは…悪魔から出る」アルマ5:40


「悪い出来事があるのは主に従っていないせい」という誤解があるようです。

日本には‟罰当たり”という言葉があります。
もちろん自分の行いによって悪い結果を招くこともあるでしょう。

災害は人の善悪にかかわらずもたらされます。
「シロアムの塔が倒れたために押し殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか、…そうではない」ルカ13:4


‟試練の悩み苦しみ”の結果としてたらされる祝福もあります。
それではその悩み苦しみは善いものなのでしょうか。

‟神に従うなら、すべては良い出来事になり、悪い出来事はなくなる”というのであれば、
イエスの場合はどうだったのでしょうか。
ジョセフ・スミスやモーセはどうでしょうか。

多くの人が神に従うために苦しみを受けました。
神に従おうとするのであれば、むしろその覚悟が必要かもしれません。


神に従ったからといって、すべてが良い出来事になるわけではないし、
悪い出来事が消えてなくなるわけでもないようです。

ただ一つ確かなことは、‟イエス・キリストに従うなら、
すべてのことの結果として善がもたらされる時が来る”ということのようです。
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