モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

成長

2021-10-23 05:03:15 | 総大会
聖約を交わしているわたしたちは、心から福音の原則に従っています。
(なぜ聖約の道なのか クリストファーソン長老)


聖餐を受けるとき、何を聖約しているでしょうか。
・主の御名を受け
・主を覚え
・その戒めを守る

この三つの聖約には、人それぞれに違いがあるかもしれません。
わたしの中では‟信仰が成長するにつれ変化してきた”からです。


現在のわたしにとって、
主の御名を受けるとは、キリストの弟子と呼ばれるにふさわしくあることです。
常に自分の心に目を向けて、ふさわしくない思いに気付いたときには、
その瞬間に悔い改めのために祈ります。

主を覚えるとは、常に祈ることです。
それは「天のお父様…」から始まる
宣教師から教えられた祈りのスタイルだけではありません。
「どうしましょうか? これでいいですか?」と
いつも共にいてくれる御霊と語り合いながら生きることです。

戒めを守るとは、心に愛があるかを確認することです。
外面的には戒めを守っているとしても心に愛がなければ、
それは真に戒めを守っていることになるでしょうか。
神の愛を理解できなければ、真の意味で戒めを守ることはできないと感じています。


神の愛への理解が深まるほどに、この三つの聖約の意味は変化します。
霊的に成長するほどに福音は深まり、進化(?)し、その理解は変わって行くからです。

わたしたちは最後まで主の道を歩み続けると聖約しました。
それは‟主に従うことによって成長し、変わり続ける”ことを意味します。

「最後まで耐え忍ぶとは、最後まで変わり続けることです」 クレーブン姉妹
コメント

善い行い

2021-10-23 04:47:48 | モルモン書
「信仰と希望と慈愛を…持つ…ときに…多くの善い行いをする」アルマ7:24


善い行いをする人の表情は輝いているものです。
心に信仰と希望、愛があるので、そこには御霊もあるからでしょう。
その輝きを‟御霊の光”、或いは‟キリストの光”ともいいます。


主の教えに従うとき、様々な障害にぶつかることがあります。
そのほとんどは相手の誤解によるものです。

「善い行いであるはずなのにどうして?」と感じることは誰にでもあるでしょう。


誤解を解こうとするときに行いが善から逸れてしまうことがあります。
誤解を解くことも大切ですが、主に従うことはもっと大切です。

もしかすると、誤解を解こうとするときにこそ
‟信仰と希望と慈愛”に注意を払う必要があるかもしれません。

「神の平安が…信仰と善い行いに応じて…あなた…のうえに留まるように」アルマ7:27
コメント