今回の総大会で何人かがまったく同じ言葉を引用しました。
(数えたわけではありませんが、たぶん三人だと思います)
偶然なのか、それとも主の御心なのか分かりませんが、
ちょっと興味深かったので紹介してみたいと思います。
2016年10月の総大会でのネルソン長老のお話からです。
「1838年の冬、迫害によってミズーリを追われた聖徒たちは
厳しい寒さの中で凍える夜を過ごしていました。
エライザ・スノーはこう記録しています。
『文句は一言も聞かれず、皆が陽気でした。
知らない人から見れば、楽しい旅行者に見えたでしょう。
聖徒こそ、あらゆる状況で幸せでいられる人々なのです。』
まさにその通りです。
聖徒とはあらゆる状況において幸せでいられる人々なのです。
幸せは生活の状況ではなく、何に目を向けるかにかかっているのです。
生活の中心をイエス・キリスト、主の福音に向けるなら、
人生で何が起こっても喜びを感じることができます。」
この喜びは神と交わした聖約からもたらされるものです。
神と聖約を交わす人々を聖徒と呼びます。
(数えたわけではありませんが、たぶん三人だと思います)
偶然なのか、それとも主の御心なのか分かりませんが、
ちょっと興味深かったので紹介してみたいと思います。
2016年10月の総大会でのネルソン長老のお話からです。
「1838年の冬、迫害によってミズーリを追われた聖徒たちは
厳しい寒さの中で凍える夜を過ごしていました。
エライザ・スノーはこう記録しています。
『文句は一言も聞かれず、皆が陽気でした。
知らない人から見れば、楽しい旅行者に見えたでしょう。
聖徒こそ、あらゆる状況で幸せでいられる人々なのです。』
まさにその通りです。
聖徒とはあらゆる状況において幸せでいられる人々なのです。
幸せは生活の状況ではなく、何に目を向けるかにかかっているのです。
生活の中心をイエス・キリスト、主の福音に向けるなら、
人生で何が起こっても喜びを感じることができます。」
この喜びは神と交わした聖約からもたらされるものです。
神と聖約を交わす人々を聖徒と呼びます。