モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

聖約の喜び

2021-10-24 04:43:11 | 総大会
今回の総大会で何人かがまったく同じ言葉を引用しました。
(数えたわけではありませんが、たぶん三人だと思います)
偶然なのか、それとも主の御心なのか分かりませんが、
ちょっと興味深かったので紹介してみたいと思います。

2016年10月の総大会でのネルソン長老のお話からです。

「1838年の冬、迫害によってミズーリを追われた聖徒たちは
厳しい寒さの中で凍える夜を過ごしていました。

エライザ・スノーはこう記録しています。
『文句は一言も聞かれず、皆が陽気でした。
知らない人から見れば、楽しい旅行者に見えたでしょう。
聖徒こそ、あらゆる状況で幸せでいられる人々なのです。』

まさにその通りです。
聖徒とはあらゆる状況において幸せでいられる人々なのです。
幸せは生活の状況ではなく、何に目を向けるかにかかっているのです。
生活の中心をイエス・キリスト、主の福音に向けるなら、
人生で何が起こっても喜びを感じることができます。」

この喜びは神と交わした聖約からもたらされるものです。
神と聖約を交わす人々を聖徒と呼びます。
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福音の伝え方

2021-10-24 04:31:01 | モルモン書
「精神を込めて…働き…祈り…御霊を注いでくださるように…願った。それでも彼らは心をかたくなにし…」アルマ8:10~


‟精神を込めて、働き、祈り、御霊を求め”ても相手の心をが和らぐに至らない”
そんな経験は誰にでもあると思います。

アルマは追い出され、諦めて出て行きました。
伝道のためにその地を訪れていたからです。

わたしたちは自分の土地で生きています。
拒まれたからといって出て行くわけにはいきません。
(アミュレクは出て行きましたが…)


心をかたくなにする人であっても互いに気持ちのよい関わりを保つ必要があります。
アルマのように‟拒まれても福音を伝えようとする”わけには行きません。

宣教師として赴任している人と、生涯その地で暮らす人では立場が違うため、
自ずと福音の伝え方は異なってきます。

宣教師には宣教師としての、
わたしたちには自分の立場にあった福音の伝え方があります。
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