喫煙者でもないのに、1週間咳が続いただけで肺がんじゃないかしらと不安になったのは、
母に肺がんが見つかった直後だったからだ。
1か月ほど前、母がお世話になっている園の看護師さんから電話があった。
○○さん(母のこと)の認知症の進行があまりに早いので、一度脳の検査をしてみてはどうかということだった。
意志の疎通ができない、トイレの失敗、食べ物が呑み込めない、などということも頻繁にあるそうだ。
認知症が進行していることは、私も会うたびに感じていたけれど、
今日は調子が良いなという日もあって、そんなものかなと思っていた。
でも、脳梗塞は繰り返すというから、もしかしたら表面には出ない程度の梗塞があるのかも知れない。
数日後の7月4日、夫に運転してもらって病院へ連れて行った。
最近は、「ちょっとここで待っててね」ということができない。
少し前までは、私が駐車して来たり、薬局で薬を貰ってきたりする間、「わかった」と言って、
じっと待っていられたのだけれど、今はよろよろとどこかへ行ってしまう。
予約しているわけでもなく、検査をするわけだから、かなり時間がかかるだろう。
ただ所在なく病院で待っていなければならない夫には申し訳ないけれど、仕方がない。
幸い思ったほど待つこともなく、脳梗塞でお世話になった先生が診てくださった。
MRIを撮った後、呼ばれたのは私だけ。
看護師さんが、「お母さんは見て居ますから」と言って下さった。
脳のMRIを見ると、脳梗塞の後は黒くなっているが、右半分一面に白いまだら雲のようなものがかかっている。
何かしら?とぼーっと見て居ると、先生から説明があった。
「これは、どこかに大きな癌があってそれが脳に飛んできてるんですね。
そして、この白い部分は機能していないということなんです」
そうか、これだけ脳の機能が失われていたら、認知症の進みも早いはずだ。
そして先生は、「あと数か月ですね~、放射線治療をすれば、いくらか延命できますけど・・・」と
淡々とおっしゃる。
想像もしていなかったことに、ショック状態だったのだろう、何も言葉が出てこない。
ただただ涙が滲んでくる。
その私を見て、「驚かせてごめんね」と先生が申し訳なさそうにおっしゃったけれど、
当人が86歳ともなれば、家族にもそれなりの覚悟はできているはず、
普通はそうショックを受けないものなのかも知れない。
胸のレントゲンを撮って、もともとの癌が左肺にあることがわかった。
先生は昨年末の脳梗塞の時の肺のレントゲン写真と見比べながら、
「そう思って見ると、この時もあったんだよな~、でも脳のほうに気を取られて見逃してしまいました。すみません」
と頭を下げられた。
そう率直に言えたのは、その時見つかっていたとしても同じ結果だったということなのだろう。
次々と思いもしていなかった事実を告げられて、頭が真っ白になっていた私でもそう思った。
怒りを感じるよりも、先生が見逃したことも運命だったのかなという気すらする。
考えてみれば、50年以上もヘビースモーカーだった母だ。肺がんでないほうが不思議なくらいだ。
どういう経過をたどるんですか?と聞くと、
食べられなくなって、体が動かせなくなり、頭がぼーっとしてきますということだった。
それなら、苦痛はあまりないのだろうか。
問題はこれからの生活をどこでするかということですが、今いる施設の先生と相談してくださいと、
手紙と母のデーターを渡された。
帰りを待っていてくださった看護師さんに結果を話すと、彼女も、まさか!と驚いて、一緒に涙ぐんでくれた。
園の先生との相談の日を決めて、母を職員の方々にお願いして帰った。
母を乗せて病院からの帰り、「どうだった?」と夫に訊かれて、「後で」と小さな声で言うと、
何かを察したのだろう、母を下ろして家に帰る間、結果を説明すると、ああそうかとだけ言った。
家から弟に電話すると、「やっぱりな~」と一言。
そうなのだ、タバコだけは止めないと、禁煙に抵抗していた母だ。
私が買っていくのを止めたことで母はタバコを手に入れるすべを無くした。
否応なく禁煙することになったのだけれど、あまりに遅すぎた。
好きなものが火を使うタバコでなかったら、例えば果物だったら、チョコレートだったら、
やめさせることもなく、好きなだけ持って行ってあげたのに・・・
母さん、あなたの好物は最悪よ。