1枚500円で購入した、このDVDで限りなく楽しんでしまうエリス中尉です。
このパッケージには、こんな煽り文句があります。
「でっかい空で、でっかく死ぬぜ!
銀翼つらねた殺し屋が
今ぞ決死の殴り込み!」
とほほ・・・・。
今となってはこういうのを見るとどきどきしてしまいますね。
しかし、当時の映画としてはこんなアオリは普通だったのね。
前回も言ったように、この映画、どちらかというと隊員の生き死にばかりに
ストーリーの焦点が当てられていて、ちっとも「殺し屋」のような風情ではないし、
殴り込みする様子も全く描かれていないわけなんですが、それもこれも
当時の集客にこれが「効果的」とされていた、ってことなんでしょう。
時代ってことですか。
さてそれでは「お約束」と「音楽」について触れつつ話をどんどん進めます。
今日は寄り道しないぞー!
♪・3 荒城の月
音楽と「お約束」は映画においてしばしばセットになっているものです。
この映画のサブキャラクターナンバーワンでもある、本郷功次郎演ずる安藤少尉。
戦線では多分進級しているので、安藤中尉にしておきましょうか。
この安藤中尉は、尺八の名人です。
中国でしんみりと荒城の月などを吹いたりします。
部下思いの加藤隊長、そんな安藤中尉に自分の知り合いの、琴の上手な女性、圭子を引き合わせます。
「今から駅までの道すがら、琴の音が聴こえたら門を叩いて合奏を申し込んでみい」
「それはどういうわけですか」
「わけもくそもない!」
隊長、よその家で別の人が琴を弾いている可能性を全く考慮していません。
こういう無茶な設定の脚本を書くのは誰だろうと思ったら、
案の定須崎勝彌氏でした。
せっかく琴と尺八のセッションで心が寄り添った二人ですが、
加藤部隊が最前線に出ることが決まったとき、安藤中尉は彼女に別れを告げます。
しかし、「あなた様の妻にしていただきたい・・・」と手紙に綴り、一心に琴を奏でる圭子。
その琴の糸がいきなり音を立てて切れます。
(フラグ・3)
案の定、それが安藤中尉の乗った隼が空戦に敗れ、命の糸が切れる瞬間であった。
♪・4 燃ゆる大空
一式戦闘機、愛称隼の運用は1941年に始まっています。
それまでは九七式(キ47)が採用されていましたが、陸軍はこれに限界を感じ、
新たな戦闘機を模索していました。
このときに、中島飛行機で設計の中心となったのが、後にロケット開発に大きな足跡を残した
糸川英夫技師であるというのは皆さんもご存知かと思います。
一式、というのは海軍の零式と同じ命名法で、紀元二六〇一年に制式となったからです。
陸軍が要求したのは、南方作戦で爆撃機の掩護と制空が可能で、航続距離の長い飛行機でした。
この過程を、この映画では無理やり?次のようにねじ込んできています。
陸軍航空本部の会議で、幹部は隼の採用に難色をしめします。
模型を手にしながら、しばしば空中分解を起こすことを理由をあげ、
隼はやめて、九七戦闘機を改良して何とか使おうということになりかけます。
そこになぜか一介の少佐である加藤が出席していて、
「待ってください!改良を加えれば九七に変わる主力戦闘機になります。
海軍ではすでに優秀な零式戦闘機が採用されています。
いましばらく隼を見捨てないでください。お願いします!」
と嘆願します。
それにもかかわらず
「性能の不足は気力でカバーせよ」
と、無茶を言う上層部。
危うく採決で隼がスクラップにされるというそのとき、
なぜか一介の空挺隊部隊長なのに航空部の会議に出ていた三宅少佐(宇津井健)が、
「隼に掩護してもらわなくては落下傘部隊は解散ですな」
などと脅迫をして、隼の採用を決めさせるというわけです。
うーん、そうだったのかー。
ってそうだったはずないだろ。
こんな無茶苦茶な脚本を書くのは誰かと思ったら案の定須崎勝彌氏でした。
とにかく、加藤、三宅両少佐のおかげで隼は制式採用となり、
加藤戦闘隊は意気揚々と隼に乗って編隊を組むのでした。
そこに流れる「燃ゆる大空」。
- 燃ゆる大空 気流だ 雲だ
騰がるぞ翔(かけ)るぞ 迅風(はやて)の如く
爆音正しく 高度を持して
輝くつばさよ 光華(ひかり)と競え
航空日本 空征く我等
いやー、このシーンにぴったり!と思って聴いていたんですが、実はこの曲、
調べてみると1940年に公開された同名の映画の主題歌なんですよ。
で、その映画の内容というのが、
九七式戦闘機乗りの話
だというね・・・・。
九七式じゃだめだ!ってことでやっとこさ苦労して(この映画的には)隼を採用し、
ようやく念願かなってその隼で飛ぶことができたというのに、そのBGMにこれを使うとは。
この映画、なかなか単純に見えてひねりが効いてるというか、奥が深いわ。
え?単に音楽担当者が知らなかっただけじゃないかって?
そして、
「日本は連合国に対し宣戦布告。
海軍の真珠湾攻撃に呼応し、陸軍もシンガポールを目指して破竹の進撃を続けた。
隼戦闘隊もようやく出動。
連日マレーの空に羽ばたいた。
この日、クアラルンプール上空において、イギリス戦闘機バッファローとの空戦に優位を」
とさらっと説明して「加藤戦闘機隊のすごさ」を説明。
なんでもかんでもト書き説明ですませるんじゃねー(笑)
それにしても、この映画の特撮なんですが、これがひどい。
このころの技術で、精一杯やっているとは思いますが、
なにしろカラー映像が災いして、どのシーンも飛行機が模型そのものにしか見えません。
・・・・・こんなですから。
どのシーンもオモチャ丸出しなので、せっかくの空戦シーンもそれが気になってしまって・・・。
ちなみにこのパイロットの首は90度自動で回転します。すごいでしょ。
♪・5 空の神兵
加藤戦闘隊がパレンバンの空挺作戦の爆撃機を掩護し、この際隼は
15機のハリケーンと交戦し、空挺隊を完全に守ったことが、
作戦の成功に大きく寄与したというのはこの映画でも描かれています。
それはいいのですが、なぜか作戦を先延ばしにしようとする山下奉文少将に、
「あっちがマレーの虎ならこっちはマレーのハヤブサだ!」
と啖呵を切って、一戦隊長の分際で作戦の即時遂行をねじ込みに行く加藤少佐。
その時の進言も凄いですよ。
「パレンバンの空挺作戦の成功のためにはわたしたちの方でも
若干の犠牲も覚悟の上です!」
「若干の犠牲というと?」
「全滅も覚悟の上です!」
ってそれ、若干じゃないだろっていう。
とにかく、この映画によると、パレンバン空挺作戦はじめ、蘭印作戦が
大本営の予想より三か月も早く進んだのは、皆加藤少佐のおかげなのだそうです。
しかし待ってほしい(笑)
なんでここに山下奉文が出てくるのだろうか。
蘭印作戦の指揮官に、確か今村均中将っちゅうのがいたと思うんですが、
いつのまに今村中将が山下に指揮官交代してるのかしら。
山下奉文の指揮した「マレー作戦」と、「蘭印作戦」を脚本家は混同していないか?
もしかして「マレーの虎」という言葉を使うため?・・・・・まさかね?
まあいいや。(よくないけど)次に進みます。
そして、いよいよパレンバンに空挺部隊が降下するときがやってきます。
やたら陽気な空挺部隊隊長、三宅少佐。
どうもこの映画によると空挺隊の一番偉い人みたいなのですが、
自分も挺進作戦に参加しております。
指揮官率先ってやつでしょうか。
「見ろ!隼がガッチリ守ってくれているぞ!」
そして、
「降下用意。よーし、行けええ!」
そこで鳴り響く「空の神兵」。
歌が終わるなり、パレンバン作戦はあっさり成功したことになっています。
そして、その祝賀会の代わりに加藤隊長は、犠牲者の追悼式を行います。
この追悼式というのがすごいんだ。
全員が聴いている中、戦死した者にに内地から届いた手紙を開封朗読するという、
いくら検閲御免の戦時中の軍隊でも、そこまでするかのプライバシーガン無視。
涙ながらに母から戦死者に届いた手紙を読み上げる露口茂。
弟から届いた戦死者への手紙を読み上げる峰岸徹。
涙ながらに、と言いたいところですが、峰岸、演技が下手で、
泣いているのに涙が一滴も出ておりません。
そして、極めつけは、加藤隊長自らが読み上げる、安藤大尉にあてた
恋人圭子さんのラブレター。
いや・・・・・それ、やめてあげて・・・・。
「お別れ以来幾たびかペンを取りながら、
あなた様の決別こそより強い愛の姿であるとのお言葉に
いつも崩れ折れてしまうわたしでございました。
でも、圭子は、今勇気を奮ってお手紙を差し上げます。
お言葉を日夜かみしめ、わたしはやっと気づいたのでございます。
決別、それがもし永遠の別れなら、愛の姿も永遠に強く美しいものです。
そこに思いをいたしますとき、圭子はあなた様の妻と呼ばれたく、
激しい戦場にありましても生きることと戦うことは
二つながらありえますことと存じますゆえ、
生と死の短答に立たれます時、あえて生の道をお選びくださいますよう、
圭子、心からの・・・」
これを全員に聞かせるんですよ?
死んだ安藤大尉はともかく、圭子さんはこんな意味不明な手紙、読み上げられたくないと思うがどうか。
しかも、加藤隊長、途中で声が詰まって読めなくなります。
部下に続きを読ませるのですが、その部下も声が詰まって読めなくなります。
加藤「読まんか~!」
部下「読めません~!」
いや、そうまでして読まなくてもいいと思うの。本当に。
こんな無茶な追悼式を考える脚本家は誰かと思えば須崎(略)
♪・6 加藤隼戦闘隊の歌
この歌は、決して最初から加藤健夫を讃えて作られたわけではなく、もともとは
丸田部隊(飛行64戦隊第1中隊。隊長丸太中尉)のために作られたのだそうです。
全隊員の要望で、飛行64戦隊の隊歌となったのが、映画「加藤隼戦闘隊」に使われ、
この歌そのものに「加藤」の名がついたというわけです。
この丸田中尉にとっては少し不満の残るところだったのではないでしょうか。
なぜなら、隊員から公募したいくつかの歌詞を合作し、それに合う歌をということで
南支部方面軍楽隊隊長に作曲依頼したのは、ほかならぬ丸田中尉だったからです。
この曲がプロの手によるものだということがよくわかるのが、
まるでロンド形式の中間部のような「緩徐部分」を持っていることです。
この曲はジャスラックの管理物らしいのでここでは書けませんが、
(この曲で徴収したお金を、JASRACはいったい誰に払っているのだろう)
この部分は、作った本人に言わせると、
「悲しき部隊の犠牲者を偲ぶ思いを込めた部分」
なのだそうです。
この歌は、映画を通して三回出てきます。
一度目は、隼戦闘機隊が意気揚々とマレーの空を飛ぶシーン。
二度目は、安藤中隊長が戦死した夜、加藤隊長が一人口ずさむシーン。
三度目は、40歳になり、中佐となった加藤に、
「もう飛ぶのはやめて地上で指揮を執って欲しい」
と頼みにくる部下たち。
「なんだ、おれを老人扱いするのか」
と笑いつつ、そんなみんなにこの歌を所望するシーン。
隊長を中心に円陣を組み、隊員はこの歌を朗々と歌うのでした。
(フラグ・その4)
加藤は円陣の中心に立って、そんなみんなを自慢のカメラに収めます。
(フラグ・その5)
ちょうどその時、敵機来襲の報が。
飛び立っていく加藤部隊の飛行機を見送りながら、
負傷していた部下が大声を張り上げます。
「ただ今原隊に復帰いたしました!
明日から列機として隊長のお供をさせていただきます!」
(大フラグその6)
わたし「ああ、フラグ立ちまくってるよー」
TO「こりゃーもう死ぬしかありませんな」
案の定、このあと加藤建夫は、攻撃中に後上方銃座の銃撃を受けて乗機が被弾、
帰還が不可能と悟った加藤は海面に突っ込むようにして自爆、戦死した。
その日ベンガル湾は南西の微風にそよぎ、波は緩やかにうねっていた。
完