関西の小中学校の修学旅行の定番は「伊勢巡り」だった頃があったそうです。
わたしの中学は広島の原爆ドームをメインに、四国の旅でしたので、
結局ここに来たのは人生で初めてということになります。
今ではこの辺に来ても伊勢神宮ではなくスペイン村に行く学校が多いとか。
マージンをもらって父兄が反対しても韓国への修学旅行を強行するのは論外としても、
「修学」旅行に、テーマパークって一体どうなの、とつい小姑のようなことを言いたくなります。
日本の学校なら、ちゃんと伊勢神宮で神様への礼儀をきちんと教えるべきなのでは?
さて、伊勢参りの最後の締めとして、お約束、夫婦岩にも行きました。
ところで皆さん。
この伊勢参りシリーズの写真ですが、カメラじゃないんですよ。
慌てて飛び出しカメラを忘れてしまった相変わらずのエリス中尉でしたが、
今回はそれほどショックを受けずにすみました。
というのは、この間の観閲式の悲劇で水死した携帯をiPhone5に替えていたからです。
ブログに乗せる程度ならカメラとiPhoneは画像の質にあまり変わりはない、という、
以前婆娑羅大将のブログで読んだ一言が思い出されました。
iPhoneを選ぶとき、新しい5のSとCの違いは
「チップの数」
「指紋認証があるかどうか」
「カメラの性能」
であると聞いたのですが、どれも大した意味がないと思いCにしました。
カメラ代わりにiPhoneを使うことになり、こんなことならSにしておけば良かったと後悔したのですが、
しかし・・・・・どうですか?
なんだか、というか、婆娑羅大将ではありませんが、あまり画像の質は変わってないと思いません?
一眼レフを持つような人はともかく、今の特に若い人はカメラ離れが酷い、
というニュースを最近読んだばかりですが、こうして実際に比べると、
一眼どころかニコン1とも画像の質に大差ないような・・・・・。
かなりがっくりしてしまったのですが、ともかくも今回の旅行は
それで全部賄えてしまって、何の不満もないという。
あらためて
「カメラって・・・・何」
と一人ごちてしまった秋の夕暮れです。
この夫婦岩の注連縄は、どれくらいに一回かけかえると思います?
わたしは一年に一度、と思っていたのですが、
だいたい三ヶ月に一度、年四回ペースだそうです。
これだけを作るのだけが仕事の、専門の業者でもいるんでしょうか。
夫婦岩といえばカエル。
なぜカエルなのか。
実は夫婦岩の沖合700メートルには、祭神、猿田彦大神の石である、
興玉石が沈んでいます。
猿田彦大神は
「天つ神と国つ神を繋ぐ象徴である異様な風貌をした神」
とされていて、天孫降臨の際、高天原と豊葦原中津国の道案内を務めた神。
この猿田彦大神の神使が、このカエルなのです。
今までカエルの像が神徳を受けた人々によって献納され、
あちらこちらにこのカエルさんがいます。
やはり大スポンサーはこのような立派なカエルを寄進。
手水にもしっかりカエル。
なんと全カエル口から水を吹き出しています。
その合間を縫って「小さなカエル」も多数。
水場の中に沈んでいる陶器のカエルには、皆水をかけてやります。
水の中から顔を出しているカエルさんは二匹。
夫婦岩を臨む岸壁に、点々と並ぶカエル。
石像、陶器、金属製といろいろです。
神殿には真っ白の親子カエルもいました。
これは白磁でしょうか。
特別大事にされているらしく、紫の座布団の上に鎮座しています。
昔、1918年(大正7年)の台風で、根尻岩(女岩)が根元から折れてしまいました。
で、三年後に修理が行われたのですが、いかんせん当時の技術では、
全くその通りに修復することができず、角度が変わってしまったとか。
「烏帽子岩」などと言っていたこともあるのですが、削れて烏帽子に見えなくなり、
今ではその名は使われていません。
夫婦岩の向こうにある岩の背中に、まるでカエルのような岩を見つけました。
これ、誰もそう言っていないみたいなんですけど、カエルですよね?
皆ここに立って、鳥居からのショットを写真に収めています。
わたしのように携帯で写す人が殆ど。
出なければがっつりでかいキヤノンとかニコン、どちらかです。
一つ言えることは、この右側のコーナーで営業していた
「1500円で写真を撮ってくれる写真屋さん」
は全く儲かっていないということです。
そんなに出して、紙プリントの写真なんか、今どき誰も撮らないよね・・・。
なぜか沖縄のシャコガイが展示されていました。
これに脚を挟まれた少年を助けるのに貝柱を切った、
という話をブラックジャックで読んだなあ。
信楽焼や、黒い土の焼きものもあり。
右写真の向かい合っているカエル二匹が可愛い。
というわけで、タクシーの観光案内コースはこれで終わり。
5時間あれば、もっと連れて行くところがあったと仰っていましたが、
のんびり旅行派のわたしたちには十分です。
あとは駅まで送ってもらい、駅前でご飯を食べて帰るだけ、
ということになったのですが、駅までの車中、運転手さん、
「この近くに伊勢で一番美味しい伊勢うどんの店があって、わたしもよくいくんです」
後から考えたら、お店とちょっとした契約でもしているのかと思ったのですが、
どちらにしても運転手が行きつけのところにまずいものがあるわけがなし。
(広島で一度ありましたがそれはともかく)
「じゃ、お昼はそこで頂きますので連れて行ってください」
わたしの一言で即決。
噂の伊勢うどんとやらを食べてみることにしました。
ご飯屋さんのような店構えの、ひなびたうどん屋さんです。
息子のとり南蛮と、わたしのおろしうどん。
おろしうどんは運転手さんの
「女の人にはおろしがおすすめです」
という言葉に素直に従ったもの。
TOの頼んだ、この店おすすめの肉卵。
「必ず底から混ぜて食べるように」
というのも、前もって教えてもらっていましたので、混ぜました。
「真っ黒なだしやけど、辛くないんです」
とのお言葉通り、濃厚でコクはありこそすれ、辛くありません。
よく関西人が東京に行って
「あんな真っ黒なだしのうどんやそばなんか食べられへん!」
と激怒するという伝説がありますが、東京ほどその気になれば
関西風や京風の薄味料理が食べられるお店がたくさんあるところもないし、
関西のうどんなのにこんなだしを使う地方もあるわけだし。
現にわたしは関西出身ですが、こちらでだしが黒くてびっくりしたことなど
一度もありません。
東北の人が奥さんの実家の京都で「味が薄くて参った」と言ったのは聞いたことがありますが。
このお店です。「ちとせ」
お世辞抜きで美味しかったので、宣伝しておきます。
こういうお店なので、店内タバコをあちこちで吸われたのは辛かったですが。
場所は近鉄宇治山田駅の近く。
ここから新幹線に乗るため、名古屋まで行きました。
式年遷宮はこの辺りの観光業、鉄道にとっても大切なイベントです。
室町時代後期に、戦乱で124年の長きにわたって遷宮が途絶えたことがあります。
その影響は絶大で、この中絶により技術継承が途絶え、
この間に様々な伝統が失われることになってしまったのです。
100年以上途絶え、祭祀を行う後継者の育成もできなくなっていたのに、
天正13年にまた遷宮が復活したのは奇跡のようなものだったそうです。
その後江戸時代、明治時代を通して古儀復興が進められ、
文献を元に当時の学者や関係者が涙ぐましい努力を傾けて遷宮は復活しました。
その到達点が、昭和4年(1929)の式年遷宮です。
このときには古儀に則した御装束や神宝が全て新調され、
「史上最高の荘厳な式年遷宮」
であるとうたわれ、これをもって復興は完全に成ったとされています。
このときの式年遷宮は、ちょうど大日本帝国の最盛期と重なっており、
そういう精神高揚もあいまって一層盛大なものとなったのでしょう。
次の遷宮が行われる20年後まで、日本はどんな時代をすごすのでしょうか。
近鉄がなにやらすごい企画をやっています。
ペンギン列車。乗りたい~!
電車が急ブレーキを踏んだら、ペンギンが将棋倒しで滑って行くのとか、見たい~!
というわけで、自宅に近い駅まで戻り、そこからタクシーに乗ろうとすると、
猫集会中でした。