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兵器庫とサス・ケージ〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-04-24 | 軍艦

 

ここ空母「ミッドウェイ」のメインデッキ見学が続いています。
この階に展示されているクルーと士官のメスつまり食堂など、
施設を見学して一巡してくると、だいたい30分かかって
元のところに戻ってくるようになっています。

この案内図を見ると、設備は全て艦尾側にあったことがわかります。
赤丸のツァー開始地点には兵員用のメス、艦体の中央部分にギャレーがあり、
艦尾まで行って帰ってくるとまたギャレー部分が現れるというわけです。

艦尾のある位置に来ると、階下に機械室が広がっているのが見えました。
ここは上から見学するだけで見学は許されていません。

眼下には

AFT EMERGENCY DIESEL GENERATOR
(艦尾 非常用ディーゼル発電機)

が見えていました。

発電機など電気関係の機器がある階で、関係者しか立ち入りを許されていません。

続いて赤いドアのある部屋の小窓越しにやりとりしている警衛あり。
ドアには大きな「W」の文字、ここは

SHP'S ARMORY (艦内兵器庫)

で、小型の武器、たとえばピストル、ライフル、ショットガン、手榴弾、
煙火を発する火器一式などがここで管理されていました。

gunners mate(砲手)が沿岸をパトロールする際に使用する、
あるいはセレモニーで使用するための武器です。

ドアの「W」はWeaponの意味があったんですね。

武器庫内部の写真。
「マガジン」と言います。

マガジンはこの階ではなくこの階下にありました。

小さな武器を受け渡しする窓口の前部には金網のドアが敷設されています。
当時からあったのか展示を保護する意味で作ったのかはわかりません。

小さく開けた窓口越しにピストルを受け取っているのは、袖に
錨が交差したボースンズメートのレイティングを付けた乗員。

ちなみに、このレイティングのウィキが大変面白いのであげておきます。

List of United States Navy ratings

ビルダーは指矩、料理のスペシャリストは本の上に鍵(秘密のレシピ?)
音楽隊は竪琴、ヨーマンは羽ペン、インテリアコミニュケーションは
地球儀の上に電話(今でもそうなのかしら)。

アメリカらしいなと思うのが「レリジョン・プログラム・スペシャリスト」
これは文字通り宗教の行事に関わる部門の専門家のこと。

行政と予算関係で従軍牧師の補助を手がけるのが主な仕事で、
宗教関係文書を保管し、地域機関や聖職者との関係調整を行います。

礼拝や宗教教育、ボランティアプログラムを企画し、ライブラリ、
牧師のオフィスを監督し、行政事務や秘書業務を行います。

また宗教的なプログラムによる訓練を通して宗教活動を行うという、
従軍牧師とは別に属する組織なのです。

宗教が人心の支えになっている欧米ならではですね。

武器(その他器具、腕章含む)などは「 Officer Of the Deck」
OODと呼ばれる士官、あるいは下士官兵であるジュニアOODが受け取ります。

またマリーン・デタッチメント(MARDET)という部門は
こことは別に武器庫を持っていて、独自に管理していました。

武器庫の右手にはエレベーターがあります。

これは階下にある武器庫に武器類を出し入れするために作られたものです。
確かに武器を持って階段を上り下りするわけにはいかないですが、
そのためだけにわざわざエレベーターを作ってしまうんですね。

エレベーターシャフト越しに下の階をのぞいてみました。
武器を扱う人が着る赤いシャツの乗員が、弾薬の整備をしているのが見えます。

ケージは下の階にあり、今武器を上に運んで来るという設定です。

この写真の右下の写真が、このエレベーターがハンガーデッキに到達したところです。

なぜエレベーターでわざわざ下から持ってこないといけないかというと、
空母の武器類はできるだけ船底の、船殻に近いところのマガジンに収納するからです。
ここにあるような武器運搬専用のエレベーターシャフトは魚雷や爆雷などを
マガジンからここセカンドデッキにあるメスデッキエリアまで運ばれます。

低い階にエレベーターがあるという意味は、4階下にあるマガジンと
直接的に連結できるということです。

セカンドデッキからハンガーデッキには別の武器エレベーターが開通しています。

こうやって分けることによって万が一運搬中にが爆発した場合、
ダメージを最小に止めることを目的としています。

要するに、最初に武器の収納ありきで軍艦というのは設計されており、
これがため、少々おかしなことも起こります。

 

皆さんもお気づきかと思いますが、この武器受け取りのエレベーターは、
見学通路の途中、すなわちギャレーの動線にありまして、つまり
爆弾専用のエレベーターが食堂のど真ん中にあることになるのです。

わたしも最初この配置には首を傾げずにはいられませんでしたが、
爆弾の艦底での収納場所からエレベーターの位置はここしかない、
ということでそういうことになったのでしょう。

万が一、実際に爆弾を実戦で扱うような事態になったときには、
誰もご飯を食べている場合ではありませんので、同じ場所でも不都合はないのです。

 

ただ、普通に「ミッドウェイ」では訓練も行うわけで、訓練中には
数千人の乗員のうち誰かが食堂でご飯を食べているわけです。

というわけでその人たちは、食事中、馬鹿でかい爆弾が
食堂を突っ切っていくというシュールな光景を目にすることになりました。

 

冒頭の写真の入り口のような施設を「サス・ケージ」と言います。

「サス」が何をサスのか、これは日本語の本で読んだのでわからないのですが、
このサス・ケージ、艦内にはここ以外にももう一箇所ほど存在しているそうです。

ご覧のようにワンウェイミラーになっていて向こうからは見えても
こちらから中を見ることはできないようになっています。

ケージの中にいるのは海兵隊員で、窓の前に座っていつでも見張りをしており、
前に誰かが立つだけですかさず対応してくる仕組み。

このマジックミラー越しに入室許可証を出してきた関係者だけが
中にはいることができ、大変厳格でした。

初めて「ミッドウェイ」に乗ったものは、大抵
このサス・ケージの真っ黒な窓の向こうに何があるかがどうしても気になって、
つい顔を窓にくっつけて中を覗こうとします。
すると、中にいる海兵隊員が

「こらあっ!すぐそこをどけえ!」

と大声で怒鳴ってくるのです。

なまじ食堂への通路にあったりするので、好奇心に駆られる水兵は後を絶たず、
1日になんども前に立って顔を押し付けてくる間抜けヅラを怒鳴りつける
海兵隊員も、いい加減うんざりしていたことと思われます。

 

 

ところで、かつて「ミッドウェイ」の下士官だった「ミッドウェイ」の著者
J. スミス氏が
初めてサンディエゴの「ミッドウェイ」を見学したとき、この部分は
艦内ツァーの対象にもなっておらず、パンフにも乗っていなかったようです。

おそらく、このような人形もその頃はなかったのに違いありません。
スミス氏が「ミッドウェイ」を訪れたのは、彼女が博物館としてオープンした
2004年のことで、もう14年も前のことなので、無理もありません。

この本が書かれた時に著者がインタビューした博物館のマーケティングディレクター、
スコット・マックガウ氏は、

「ミッドウェイの博物館への変身は最長10年かけて行う予定である」

と言っており、そのころの「ミッドウェイ」は博物館というより
ほとんど現役時代の空母そのままを展示しているようなものだったとか。

(それはそれで意味があるのでは、という気もしますが)

 

ついでに「ミッドウェイ」の博物館化までの話をしておくと、
サンディエゴ市が日本での任務を終え、1992年に退役していた
「ミッドウェイ」を博物館にする計画を起こしたのは、1996年のことです。

1997年に除籍になった「ミッドウェイ」はその後オークランドでドック入りして
2003年にサンディエゴに回航され、次の年にはもう博物館として公開されています。

最初は一般公開している場所も非常に限定的であったそうですが、
ディレクターのいうように、10年をめどに展示を整備していき、
甲板の航空機や映像コーナー、そしてあちこちの「ミッドウェイ」人形など
充実を図ってきた結果が、現在の展示艦「ミッドウェイ」の姿です。


現在「ミッドウェイ」が係留されている桟橋は、もともと海軍の所有でしたが、
オープンの3年前に、急に海軍が権利を放棄する決定をしたので、
複数の連邦機関が桟橋の所有権を欲しがって動き出したと言うことがあり、
それは博物館「ミッドウェイ」オープンへの最大の難関でした。

マックガウ氏ら関係者はワシントン詣でをして嘆願を行い、
桟橋の所有権はサンディエゴ市の港湾局に渡って一件落着したそうです。

しかし、その間博物館への寄付金を募ることができず、大変だったとか。

「ミッドウェイ」の運営と、次の大きな問題だった環境に対する税金は
全て寄付金で賄いました。

また、環境問題の他にも、「ミッドウェイ」係留によって海岸線の景観が損なわれる、
という理由で博物館を許可しない、と言う事を言ってきた州政府組織もありました。

このことが公聴会で図られることになった時、なんとしてでも
「ミッドウェイ」博物館をオープンさせたい人々は作戦を練りました。

公聴会がテレビで放映されることになったので、推進派はサポーターを集め、
このプロジェクトが多くの市民のサポートを得ている事を強調しようとしたのですが、
公聴会では発言のあと拍手をすることが許されていません。

そこで、500人のサポーターには小さな国旗が配られました。
賛成発言が終わるたび、声を出さず、全員で一斉に旗を振ると言う作戦です。


このような努力が実を結び、全会一致で「ミッドウェイ」博物館のプロジェクトを
推進する許可を得ることができたということです。


こういった事をマックガウ氏からインタビューで聞いたあと、
かつて下士官としてここに勤務し、やっぱり好奇心に駆られて小窓を覗き込み、
海兵隊員に怒鳴りつけられたスミス氏は、ここぞと

「特殊兵器格納室を見せてください」

と頼んでみたそうですが、

「まだ照明と消火設備が整っていないので消防署によって現場は封印されている」

ということで、あっさりと断られたということです。

ちなみに特殊兵器庫をガードしている海兵隊員はM-16を手にしていて、
海軍軍人だったスミス氏からみても「とても怖かった」とか・・・。


それから14年経った今も、「ミッドウェイ」の特殊兵器庫はまだ公開されていません。



続く。