らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

明日ありと思う心の仇桜

2019-09-18 | 雑学

9月も半ばを過ぎ、彼岸が目前に来ているというのに、残暑厳しい日が続いています。
この様に暑いと体が思うように動かず、一日一日を漫然と過ごしてしまいそうになりませんか?
そのような方に、今日は浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が9歳の時に詠んだ歌をご紹介したいと思います。

   「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

意味は、桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれない。人生もそれと同じで、明日はどうなるかわからないから、頼みにしてはいけない、という世の無常を説いた戒めです。
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえです。

この歌は、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人がまだ若松麿だったころ、その幼名を捨て、9歳で(治承5年:1181年)得度したときに詠んだ歌です。
幼くして父母を亡くした若松麿が出家を願い出て剃髪しようとしたとき、いたいけな姿を見守る周囲の一人が「時間も遅いし明日にしてはどうか」という言葉に対する返答でした。 

若松麿(後の親鸞)は、「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠んで、明日もまだ咲いていると思っている桜も、夜中に嵐が来て散ってしまうかもしません。
「人の心もいつ変わるとも知れず、せっかくの決意も一夜で霧消してしまうかもしれません。どうぞ情けはお捨てになって、髪を剃ってください」と頼み、剃髪をしてもらい出家しました。
9歳とは思えない、幼き若松麿の偉大なる決意が詠まれています。


「マハトマ・ガンジーの名言」
同じような言葉を,インドの偉人で、インド独立の父と呼ばれている・マハトマ・ガンジーも残しています。

    「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」です。

世の中や人生、何時どんなことが起こって、どうなるかわかりません。
未来のことを思い煩い、何も行動をせず、思い悩んで月日が過ぎることだけは避けよう。
人間いつ死ぬかわからない。 明日死ぬと思って、思い切って生きよう。 そして、魂は永遠に生き続けると思い、努力を怠らず、常に学ぶ姿勢でいよう。

宗教的な教えのような気もしますが、言っていることはその通りです。
明日からやろうでは遅いのです。
今この瞬間を無駄にすることなく、今から始めましょう。

今日取り上げたお二人の教えが皆様の人生において良き参考になれば幸甚です。