奈良県南部の飛鳥周辺には大和三山と呼ばれる三つの小さな山があります。
この大和三山には、神代の昔に畝傍山を巡って争った「恋の三角関係」の伝説があるので、今日はそのことについてご紹介します。
・天香久山(あまのかぐやま)152m
・畝傍山(うねびやま)199m
・耳成山(みみなしやま)140m
この三つの山が大和三山と呼ばれている山々で、これらの頂点を結ぶと三角形になり、藤原宮跡はその中心部に広がるという位置関係にあります。
(藤原宮とは、694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年間、都城制を敷いた初めての都です。平城京に遷都されるまでの日本の首都でした。)
伝説は、その三山の一つ、美しい畝傍山を巡って耳成山と天香久山が恋争いをしたと言われているものです。
このことは万葉集にも次のように詠われています。
「香具山は 畝傍(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子巻1-13)
意味は、香具山は畝傍山を男らしい者として古い恋仲の耳成山と争った。神代から、こうであるらしい。昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい。
・美しい畝傍山です。
この歌には二つの説があります。
万葉集の中で詠まれた歌の「香具山は 畝傍ををしと 耳成(みみなし)と 相争ひき神代より・・・」の下線部分の「ををし」を「雄々し」と読むか、「を愛(を)し」と読むかで三山にまつわる伝説の内容が正反対になってしまいます。
即ち、「雄々し」と読めば畝傍山が男性で、香具山・耳成山が女性となり、「を愛(を)し」と読めば畝傍山が女性で、香具山・耳成山が男性になります。
・天香久山です。
「伝説」
伝説では、出雲のアボニカミ(阿菩大神)という神様が、香具山と耳成山の二人の男が、畝傍山を妻にしようと争っているのを聞いて、仲裁のため播磨の国まで来たところ、争いがおさまったので、この国にとどまった、とあります。
「万葉集」巻一にも、
「香具山と耳梨山と争(あ)いしとき 立ちて見に来し 印南国原」
意訳:香久山と耳成山が妻争いをしたとき、阿菩の神が、この印南原まで見にやって来たのです。
という歌が残っています。
・耳成山です。
この伝説を踏まえて、現実に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=後の第38代天智天皇)が弟の大海人皇子(おおあまのおうじ=後の第40代天武天皇)と額田王(ぬかだのおおきみ)を中にはさんだ三角関係があったのです。
そして、みずからが大和三山の妻争いの伝説にたとえて、三角関係というものが、昔からあったからこそ、いまの自分達も、こうして妻争いをするのだろう、と長歌で告白したのです。
なお、この妻争いが原因で、この兄弟はたいへん仲が悪くなりました。
そして、天智天皇の死後の皇位を巡って、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と息子の大友皇子(おおとものおうじ)との間で争った「壬申の乱」がありましたが、この兄弟争いもその一因だったのでは? とも言われています。
三山を遠望したり、近くにも行きました。耳成山は、円錐形ですから優しい女性のように思っていました。
三角関係の当事者の前に、あやういといえば危うく、おおらかといえば大らかな詩詠みです。
古代の男女関係は、血縁が近いですね。
お願いの注意喚起は、簡潔な文章がいいと考えますが、客向け案内のため丁寧にしたのでしょうね( ^ω^)・・・❔