日本では殆どの人が食事の前に手を合わせて「いただきます」と感謝の言葉を述べて食事をしています。
この慣わしは日本の良き伝統ですが、最近、ある学校では保護者が子供に「いただきます」を言わせないで欲しいと電話してきたそうです。
その理由が「給食費をはらっているから」とのことです。
「いただきます」は、出された料理を食べ始める時の挨拶の言葉です。
給食費を払う、払わない、は全く関係ありません。
近年、この保護者に限らず「いただきます」の意味を勘違いしている人が増えてきているのではないでしょうか?
「コラムからの事例」
先日の新聞のコラムに次のような記事がありました。
熊本県である保護者が学校に「給食の時、子供たちに頂きますを言わせないで欲しい」と電話してきました。
教師がその理由を問うと、「給食費をはらっているから」ということです。
別の学校ではもっと驚く事例です。
保護者が「いただきますは宗教行事みたいだからやめてほしい」と電話してきたそうです。
教師側もそれを認めたということですが、言わないと一斉に食べられないからと、笛を吹くことにしたというのです。
この学校の先生たちは「いただきます」は、給食開始の合図と捉えられていたようです。
更に、岡山の天ぷら屋さんで聞いた話として、母親と娘が「いただきます」を言おうとしたら、父親が「言わなくていい。金を払うのは俺だから」と制したそうです。
「頂きますの語源」
食事の始まりの言葉である「いただきます」の「いただく」は、漢字では「頂く」、または「戴く」と書きます。
「いただく」には、「頭上にのせる、かぶる」という意味があり、さらに、「敬意を表して高くささげる。頭上におしいただく」という意味のほか、「もらう」の謙譲語としても使われます。
これは、身分の高い人から物をもらう際に、敬意を表するためにその物を頭上に高くささげるような動作をしたことから、「もらう」の意味で使われるようになったといいます。
さらに身分の高い人からもらったものが食品だったときや、神仏へのお供えの食べ物を下げて、食べるときにも、頭上にのせるような動作をして、食事をしたことから、「食べる」「飲む」の謙譲語として「いただく」が用いられるようになりました。
それがやがて食事のあいさつとして「いただきます」という言葉として定着してきたということです。
「いただきますの二つの意味」
食事を始めるときの「いただきます」には、二つの意味があると言われています。
・その一つは、食材を作る人や運ぶ人、料理を作る人など、食事に携わってくれた多くの人々の知恵や労力に対する感謝をあらわすこと。
・そして二つめは、食材となってくれた命への感謝です。
穀物や野菜、魚や肉など、すべての食べものは、元々は「生きもの」です。
「いただきます」の言葉の前には「いのちを」という言葉が隠されていると言う人もいます。
そこから、多くの命をいただいて自分の命を養わせてもらうことに感謝し、いただいたたくさんの命とともに生きていることを確認する言葉でもあるのです。
このように、「いただきます」は、敬意を表する動作から生まれた言葉なのです。
現在ではその敬意は、肉や魚、卵はもちろん、野菜や果物も含めて、食材の「命」そのものに向けた言葉と捉え直されており、更に、食材を育てたり獲ったりした人や、食事を作った人に対する敬意と感謝の気持ちを込めた言葉とされています。
冒頭の事例のように、給食費を払っているとか宗教行事のようなものではありません。
学校の先生方も「いただきます」の意味を生徒によく教えて頂き、敬意と感謝の気持ちを込めて食事をしていただきたいと思います。
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