今年は聖徳太子(574年~622年)の1400年遠忌(おんき)にあたり、奈良の世界遺産・法隆寺では4月に遠忌法要が行われました。
遠忌とは、死者の祥月忌日を一周忌、三周忌と重ねていって 50回忌以上の年忌を言い、100回忌以上になると 50年ごとに遠忌を行います。
100年前の大正時代には、実業家の渋沢栄一(1840年~1931年)が1300年遠忌法要の実現に尽力したそうです。
その渋沢栄一は今、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で放送されていますが、彼は2024年に1万円札の肖像になる事が決まっています。
ところで、紙幣の肖像と言えばこの人抜きには語ることができないでしょう。
その人とは、そうです。聖徳太子です。
聖徳太子は、1930年(昭和5年)に発行が始まった「乙百円券」に初めて採用されて以来、「銀行券の顔」として最も多く登場しています。
(参考)
「乙券」とは、日本銀行券(お札)には明治以降、発行された銀行券を分類するために付けられた記号で、改刷の都度変更されています。
これまでに発行された銀行券には、下表のような記号が使われています。
使用時期 シリーズ記号
明治中期~1935年(昭和10年)頃まで 甲、乙、丙、丁
1942年(昭和17年)頃~1945年(昭和20年)頃まで い、ろ
1946年(昭和21年)以降 A、B、C、D、E
・これが乙百円券です。(ネットより)
この百円札は昭和5年、金解禁に合わせて発行されました。
聖徳太子は昭和5年、金解禁を記念して発行された乙百円券の肖像に初めて登場しました。
この年には五円券に菅原道真が、十円券に和気清麻呂が、翌年の昭和6年に発行された二十円券には藤原鎌足が描かれています。
聖徳太子は昭和33年発行の一万円札まで7回も肖像画に登場しており、お札の代名詞と言われていましたが、昭和59年の新券発行によって姿を消しました。
また、登場回数もさることながら、太子が描かれたC五千円券とC一万円券は戦後に発行された日本銀行券では発行期間が最も長く、四半世紀以上にわたって発行され、長年、国民に親しまれました。
このため、いつのまにか国民の間に「聖徳太子は日本銀行券の代名詞」というイメージが浸透していったということです。
・昭和33年に発行された聖徳太子最後のC号1万円券です。(ネットより)
「聖徳太子が最も多い理由」
でも、聖徳太子像がこれだけ多くの日本銀行券に採用された理由は一体何でしょうか?
それは、
①「十七条の憲法」を制定したり、仏教を保護したり、中国との国交回復や遣隋使の派遣により大陸文化を採り入れるなど、内外に数多くの業績を残したため、国民から敬愛され知名度が高いこと。
②歴史上の事実を実証したり、肖像を描くためのしっかりした材料があること。
が大きな理由のようです。
「紙幣の肖像画」
紙幣に印刷される肖像画の目的は偽造防止のためと人々に親近感を持ってもらうためだそうです。
誰の肖像にするかは財務省印刷局の専門家などが話し合って財務大臣が公示することになっていますが、その人選の条件は、大きな業績を上げた実在の人物であること。
更に、国際的にも知名度が高く、そして明確な写真や肖像画が存在することなどです。
しかし、明治以降から戦前までの紙幣には古代の人物が多く描かれていました。
例えば学問の神様で知られる菅原道真、大化の改新を成し遂げた藤原鎌足、古事記や日本書紀に記述が残る日本武尊なども紙幣に登場しましたが、これらは全て想像で描かれた肖像でした。
その後、時代が新しくなるにつれ、板垣退助、岩倉具視、伊藤博文などのように、写真をもとに正確に描かれるようになってきましたが、その中で登場回数が最も多いのが聖徳太子で、戦前2回、戦後5回、計7回も使われています。
没後1400年経って今なお日本国民に愛され続けている聖徳太子が、日本銀行券(お札)の代名詞と言われるのは、以上のような理由からでした。
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幼いころに、十文字を描いた10円札があって使ってました。
> 両生類のカエルまでロボットになったのかと驚かされます。このロボットを蛇が見ても丸呑みするのでしょうか❔
捻じり飴2個買えました。
1円札を戦後、父がボーナスを貰った日に、
夜、起こされて「これが1円札」と見せられました。
両親も初めて見たと思います。
古い記憶ですね。