「道修町」、この漢字は「どしょうまち」と読みます。
道修町は薬(主に医薬品)の町として知られており、江戸時代には、清やオランダからの薬を一手に扱う薬種の仲買い仲間が集まって店を出していました。
日本に入ってくる薬はいったん道修町に集まり、その後、全国に流通していったそうです。
現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多く建ち並んでいます。
堺筋の道修町1丁目交差点を西に20~30m行くと「定給療病方 威蒙」と彫られた石柱が建っていますが、その細い路地が「少彦名神社」の参道となっており、その奥の鳥居の先が神社の本殿です。
・「くすりの道修町資料館」前の神社の石碑と虎です。少彦名神社は資料館の裏手に鎮座しています。
「少彦名神社」
道修町には明暦4年(1658年)頃から薬種商が集まり、享保7年(1722年)には124軒が幕府より道修町薬種仲買い仲間として公認されたそうです。
この仲間が生命に関する薬を神のご加護のもとに間違いなく取扱できるよう、中国の薬祖神・神農(しんのう)と共に、安永9年(1780年)に京都・五条天神から少彦名命をお招きして仲間会所(現在地)にお祀りしたのがこの神社の創建とされています。
「本殿」
ビルの谷間に鎮座している少彦名神社の本殿です。
「くすりの道修町資料館」の横に参道があります。
御祭神は少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)と神農神(しんのうじん)です。
少彦名大神は日本の薬祖神、神農神は古代中国の伝説上の帝王です。
神農は草木をなめ、その効能を調べ、教えたという故事から、中国では、医薬の神様とし祀られているそうです。
「張り子の虎の由来」
神虎(張り子の虎)は文政5年(1822年)大坂で疫病(コレラ)が流行した時、道修町の薬種仲間が疫病除け薬として「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という丸薬をつくり、合わせて「神虎」のお守りを作って神前で祈願した後、施与したことに由来すると言われています。
虎は古来より邪を祓い鬼を退治するといわれており、大坂の郷土玩具である張り子細工で虎を作りお守りとしたものです。
現在では万病平癒・無病息災のお守りとされています。
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大阪では、ほうぼうを歩いてますから、この道修町も よくとおりました。
> 東京の桜は満開だそうですが、お隣の神奈川県では未だ五分咲き程度なのですね。
きょうの桜は4日の桜たちで、その翌日に東京に行ったらかなり咲いていました。また、その次の日に同じ泉の森で花見
しましたが、東京よりも少なかったです。