らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

北浜~堂島周辺巡り

2017-04-08 | 地元紹介

大阪市内に出かけた時には、大抵、目的地周辺の史跡を探して歩いていますが、今回もこれまで通り北浜から堂島あたりを巡りました。
すると北浜2丁目の小寺プラザビルの敷地内に「大阪慶應義塾跡記念碑」がありました。
慶應義塾と言えば東京にある有名大学ですが、大阪にも嘗て分校として存在していたようです。

「大阪慶應義塾跡記念碑」
明治6年11月から同8年6月の間、慶應義塾の最初の分校が大阪に開設されていましたが、その歴史を語る記念碑が、慶應義塾創立150年を記念してその跡地(大阪市中央区北浜2丁目5-23 小寺プラザビル)に建立されていました。
大阪は、慶應義塾の創設者・福澤諭吉が生まれた場所であり、また青年期に緒方洪庵の適塾で学んだというゆかりの地であることから、創立150周年を機に記念碑を建立したとのことです。

記念碑には「独立自尊」の文字が記されています。
慶應義塾のHPによると、「独立自尊」とは、「心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」。自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です。
と記されています。

・記念碑の「独立自尊」の文字は福澤諭吉の自筆の写しだということです。


「松瀬青々生誕地」
松瀬青々は、明治から昭和初期に活躍した大阪出身の俳人です。
正岡子規に師事し、「ホトトギス」の編集に従事した人で、現在の三井住友銀行大阪本店のある場所に生家があったとのことで、ここに「松瀬青々生誕地」の石碑が建っています。
青々は本名を弥三郎と言い、明治2年に当地で生まれました。
幼少のときから漢詩、詩歌を学び、俳句を新聞や「ホトトギス」などに投句していたそうです。
子規に賞賛され、明治 32年上京して1年ほど「ホトトギス」の編集に従事しました。
明治34年「宝船」「倦鳥(けんちょう)」を主宰、大阪俳壇の基礎を築いた人だということです。



「手形交換所発祥の地」
「松野清々生誕地」の石碑の向かい、三井住友銀行大阪本店東玄関前には「手形交換所発祥の地」の石碑が建っています。
わが国最初の手形交換所として、明治12年12月1日当地に開設されました。
手形交換所とは、 一定地域内の金融機関が 約束手形や小切手などを持ち寄って 決済交換を行う場所です。
世界で最初の手形交換所は 1773年にロンドンで開設されましたが、 日本では1887年(明治12年)に大阪に開設されたのが最初で、東京での手形交換所は8年後の1887年((明治20年)のことだそうです。

「碑文」
明治12年12月この地に大阪交換所(のち大阪手形交換所)が設けられて 我国最初の手形交換を始め 以来百年 手形取引の健全な育成を通して大阪経済の 隆昌に貢献した。
と記されています。




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1 コメント

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福澤諭吉 (iina)
2017-04-08 10:14:45
福澤諭吉は、中津藩ですから、てっきり大分生まれと思っていましたが、大阪堂島の藩の蔵屋敷で誕生したのですね。 φ(..)メモメモ

なるほど適塾で勉強するはずです。
適塾を見学したら、諭吉の落書きに真夏に友と素っ裸でいたら緒方洪庵の奥様に見られ恥ずかしかったなんて残っていていました。
急に身近に思えました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e7737f6e5a028b87a28676f4216b14bd


> イルカのように人懐こかったら可愛いでしょうが。・・・考えようによったら、特等席でのホエールウォッチングができたのですから・・・
そうかもしれません。 クジラ が イルカ なんて類の駄洒落をもてあそんでいるくらいが丁度いいのです・・・。

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