らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

明日は「正月事始め」

2021-12-12 | 季節

12月も早や中旬に入りました。
あと3週間ほどで新年を迎えます。
少し早いと思われるかも知れませんが、明日13日は「正月事始め」といって、正月を迎えるための準備を始める日とされています。
そこで今日はこの行事についてご紹介します。

「正月事始め」
「正月事始め」とは、本格的に正月を迎える準備をスタートする日のことです。
この日からすす払いや餅つきなどを行い、新年を迎える準備を行います。
「準備ならいつ始めてもよいのではないか?」と思われるかも知れませんが、昔は、正月事始めは12月13日と決められていたのです。

「正月事始めの由来」
でも何故、12月13日が「正月事始め」なのでしょうか?
古来、日本では12月13日に門松や雑煮を炊くための薪など、正月に必要な木を山に取りに行ったことが由来となっている他、江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、旧暦の12月13日は二十八宿の「鬼宿日(きしゅくにち)」で、この日は婚礼以外のことは全てにおいて吉日と言われていました。

そのため、神様を迎える準備を始めるのにも12月13日が「佳日」となったといわれており、そこから1月1日の元旦を迎えるための準備を始める日になったと言われています。
このように、正月事始めは単に人々が新年を迎えるためだけではなく、「神様」に向けたものでもあったことも由来となっているようです。
現在では、日附と二十八宿とは一致しなくなっていますが、正月事始めの日附は12月13日のままとなっているのです。



「正月事始めの行事」
では、正月事始めにはどのような準備をするのでしょうか?
その行事には大きく3つの習慣がありました。

1.煤払い
すす払いは、家の中に一年の間に積もった、すすやほこりを掃除するというものです。
それだけではなく、一年間の厄を祓い落して家の中を清め、新年を前に神様を迎えるための準備をするという意味も持っていました。

2.松迎え
松迎えは、かつては、年神様を迎えるための門松やおせち料理を作るための薪など、正月に必要なさまざまな木を山から伐ってくることを「松迎え」といいました。
今では、松を採取したり、薪を集めることもなくなり、この言葉自体があまり使われなくなっています。

3.年男
年男といえば、現代では生まれた年と同じ十二支の年を迎えた男女を「年男・年女」と呼びますが、昔は正月事始めを仕切る家長のことを「年男」と呼んでいました。
さらに、昔は注連縄(しめなわ)も手作りだったり、門松も山から松を伐採して持ち帰り、それぞれの家庭で作っていたのです。
このように、正月の準備は力仕事が多かったことから、正月事始めは男性が中心となって行うものでした。

最近は、12月13日を待たずに早くから計画的に大掃除を進めている方もおられると思います。
でも、まだという方は「正月事始め」をきっかけに、お正月を迎えるための大掃除をはじめてみては如何でしょうか?
かく言う私は、明日はまだ正月準備に取り掛かる時間的な余裕がありません。

「参考」
「宣明暦(せんみょうれき)」
中国暦の一つで、太陽太陰暦の暦です。日本においては中世を通じて823年間継続して使用され、史上最も長く採用された暦となっています。

「二十八宿」
二十八宿(にじゅうはっしゅく)とは、天球を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。江戸時代初期(1685年)に全廃されました。


広島の方言「がんす」とソウルフード

2021-12-10 | 雑学

私の故郷、岡山県では聞きませんが、隣の広島県の方言に「がんす」があると新聞のコラムに載っていました。
それによると、「がんす」は主に広島県安芸地方の方言と言いますから、広島県の西半分にたる地域の言葉のようです。
その使用法は「おめでとーがんす」「えー天気でがんす」などと使用される敬語表現で、標準語の「~でございます」「~です」に当たります。
この言葉は、元々は室町末期に使用例が見られる「ござります」だそうで、その後「ござんす」から「がんす」と変化したということです。
一方、同じ広島県でも東半分に当たる備後地方では「ありがとーでやんす」のように「~やんす」を使用するということです。

この「がんす」という言葉は全国各地の方言に残っているようで、東北では「おばんでがんす」や「がんすねー(ありませんね)」のような用法もあるということです。
広島の方言が全国に広まったのでがんすね。

「広島のソウルフード がんす」
ところで、この方言を商品名にしたソウルフードが広島県の一部地域にあるそうです。
以前、日経新聞の食紀行の中に「広島のがんす」が特集されており、その記事には次のように書かれていました。

『広島県には知る人ぞ知る食べ物がある。その名も「がんす」。魚のすり身にパン粉をつけ、油で揚げた食品だ。最近になって注目が集まり、都内の土産物店でも人気が高い。
「がんすの」の名前は「~でございます」という広島の方言に由来する。広島でも局地的な食べ物だ。
(以下略)』

この「がんす」は、戦後の混乱期に広島県呉市広地区でよく食べられていたといわれています。
現在でも地区内で秋祭りが行われた際にはおでんの具材として食べられるなど、地域にとってはおなじみの味として親しまれているそうです。

・これが「広島のソウルフード がんす」です。


「がんす娘」
「がんす」の誕生には諸説あります。
草津にあった網節商店(廃業)が生み出したという説のほか、呉市広地区で生まれたという説もあります。
呉市にある三宅水産はトウガラシ入りの「がんす」を1950年の創業当時から作っていたと言われていますが、広島県内でもさほど知られていなかったようです。

その「がんす」の知名度をアップさせたのが、三宅水産の三宅社長の娘の結花さんです。
彼女は約15年前から大きなコック帽をかぶり「がんす娘」として奮闘しているそうです。
お客さんに「ありがんす」とお礼をいう試食販売は呉市や広島市のスーパーなどから引っ張りだこであり、1カ月に23件の試食販売をこなしたこともあるといいます。

・「がんす娘。」として活動する三宅水産の三宅結花さん

最近では練り物需要が減っているそうですが、「がんす」は若者を引付けやすい揚げ物である点などから、若者の間に人気が出ているということです。
更に、そのままお酒のつまみになったり、カツ丼のカツの代わりに使ってもおいしいなど、どのような料理にでもアレンジできることが魅力だということです。
しかし、がんす娘の三宅さんによれば、大多数の広島人にとっては、がんすは「名前を知らない食べ物から、名前は知っているが、食べたことがない食品に昇格した段階」だということです。

「がんす」はまだ広島県安芸地方のローカルフードのようですが、その内、皆様のお近くのスーパーにお目見えするかも知れません。
その時にはご試食してみては如何でしょうか。


久しぶりのソラマメ栽培

2021-12-08 | 家庭菜園

5~6年の間栽培していなかったソラマメを、久しぶりに植えることにしました。
以前、栽培していた時には、前年に収穫した豆を種豆にしていた関係でしょうか、次第に出来が悪くなってきたので栽培を止めたのです。

今回は種豆を1袋購入して植えることにしました。
しかし、その袋には11個しか入っていませんでした。
ソラマメのタネって高価なのですね。
大事に育てたいと思います。

「そら豆の栽培方法」
今回は失敗しないために、改めて栽培方法を調べました。

1.土作り
植え付けの3週間前に堆肥を、2週間前に石灰を入れて耕しておきます。
その後、種まきの1週間前に元肥を入れ、株間40〜50cmを確保できるように畝を立てます。
我が家では1か月ほど前に元肥を入れて畝を立てておきました。

2.植え付け
種まきには直播きとポットなどで芽出しする方法がありますが、いずれの場合もおはぐろを下に向けて浅めに蒔きます。
畝に直播きする場合は、株間40〜50cmで1粒ずつ植えます。
ネットでは、雨の影響で種が腐りやすいので、管理しやすいポットや一か所にまとめて植えた方が確実と書かれていました。

・おはぐろを下にして浅く植えます。


「ポット植えで芽出し」
我が家では防鳥対策からポットに植え付けました。
本葉が3~4枚出た頃に定植します。

・本葉が4枚ほど出て定植の適期となった苗です。


「定植」
私は60㎝幅の畝に株間50㎝で2条の千鳥植えで定植しました。
ネットによれば、小さい苗で冬越しをさせると冬の間に根を張って春先からどんどん生長するようです。
また、冬の寒さに合わせて根の張りが良くなることで花芽のつきも良くなって収量がアップすると書かれていました。
更に、真冬に苗が大きく育っていたり、寒さが厳しい場合は、防寒対策として株元にもみ殻を撒き、寒冷紗をかけて保温しておくとよいとのことです。

・定植した11株の苗です。


「寒さ対策」
大阪でも最低気温が5度を下回るようになったので、カットした稲わらを敷いて防寒対策をしました。



「この後の作業」
この後、株の周りから枝分かれした新芽がたくさんが出てくるので、その管理になります。

「芽かき・土寄せ・追肥」
茎から枝分かれした新芽が出てきたら、成長の良い芽を5〜7本残し、他は摘み取ります。
放任しておくと倒れやすくなるので、分岐部が隠れるように株元に土寄せをしておきます。

「支柱立て」
春になり草丈が伸びてきたら、成長に合わせて株を囲うような形で支柱を立て、テープやひもを張って倒伏を防ぎます。

「摘芯」
草丈が70cm〜80cmになったら、茎の先端(成長点)を刈り取っておきます。
先端部分につく花は、実になっても収穫には至らないので、刈り取っても収量に影響はありません。



「収穫」
ソラマメは上を向いて開花・結実しますが、莢の中のマメが肥大してくるとサヤが下向きに垂れてきます。
そして、マメが十分に肥大すると背筋が黒褐色になって光沢が出始めます。これが収穫適期の目安です。
サヤを触って中のマメが膨らんでいることを確認したら収穫します。

今年は失敗しないように大事に育てます。


正岡子規は漱石の句を真似たのか?

2021-12-06 | 雑学

柿のある風景、多くの人が、それは日本の原風景と言います。
柿の原産地は中国や日本など諸説ありますが、現在日本で栽培されている柿のもとになったものは、中国から伝わったと言われています。
しかし、中国では日本ほど品種改良や栽培が発達しなかったことから、柿は日本から海外へ広まり、海外でも「KAKI」と呼ばれています。

その柿を詠んだ有名な句に、正岡子規の
 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」があります。

この句は、子規が法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、というのが句意です。
生涯に2万を超える句を詠んだと言われている子規の作品のうちでも最も有名な句であり、芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」と並んで俳句の代名詞としても知られています。



ところが、この句は夏目漱石の句が下敷きとなって詠まれたと言われています。

参考にしたという夏目漱石の句とは、
 「鐘つけば 銀杏(いちょう)散るなり 建長寺」です。

漱石のこの句は明治28年9月6日に「海南新聞(現在の愛媛新聞)に掲載され、その2か月後の11月8日の同新聞に子規の「柿くえば 鐘が鐘が鳴るなり 法隆寺」が掲載されているのです。
真偽のほどは不明です。

子規が柿好きであることは自身でも明言していて、柿を詠み込んだ句は他にも多く残されています。
・「御仏に 供へあまりの 柿十五」
・「柿くふて 腹痛み出す 旅籠哉」
・「風呂敷を ほどけば柿の ころげけり」
・「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」
などがあります。
しかも、子規は生涯に詠んだ句が数万に及んでいることから、中にはよく似た俳句も詠まれているかも知れません。

・鎌倉・建長寺の鐘楼脇の立札に書かれている漱石の句です。


夏目漱石は1895年(明治28年)4月に中学の英語教師として愛媛県の松山に赴任しています。
一方の正岡子規は日清戦争の従軍記者として、結核の身で満州へ渡りましたが、その帰路に大喀血しました。
幸い、神戸の病院で一命をとりとめて、故郷・松山に療養帰省しました。
退屈していた漱石は、大学時代からの親友だった子規を下宿へ呼び寄せ交流を深めたのです。

このような二人の間柄であれば、よく似た俳句が生まれても不思議ではないでしょう。
どのように推察するのかはこの俳句に接した方のご自由ですが、私には漱石に俳句を教えた子規が、「建長寺」の句を真似したなどとは思えません。
皆様などのように思われるでしょうか?


百貨店をかたる偽サイトに注意

2021-12-04 | 消費者問題

ネットの通信販売を利用されている方は多いと思います。
でも十分ご注意ください。
先日の新聞に次のような記事で注意を呼び掛けていました。

「百貨店をかたる偽サイトに注意」

記事によれば、「高島屋」など「大手百貨店を語る偽の通信販売サイトで偽物を買わされるというトラブルが相次いでいるとして、国民生活センターが注意喚起を呼び掛けています。
国民生活センターよれば、百貨店の偽通販サイトを巡る相談は今年4月~9月の半年間で、全国で約800件寄せられているそうです。
そこで今日は、その事例と対策について調べました。

事例1】
大手百貨店をかたった偽通販サイトに注文してしまい、後日、偽物が届いたという事例です。
80歳代の男性は、免税店の閉店に当たり高級腕時計を格安で在庫処分するとのインターネット広告から、百貨店を語るサイトに接続しました。
100万円以上の価格が2万9千円に値引きされていたので「高級腕時計」を注文し、代金引き換えで受け取ったのですが、時計は動かず偽物だったそうです。

【事例2】
大幅な割引価格のブランド品を「代金引換」で注文したが偽通販サイトだったという事例です。
スマートフォンで SNS を見ていたところ、「大手百貨店の免税店が6カ月前に閉店し在庫を倉庫に預けていたが、倉庫の期限が切れるので格安でセールをする」との広告を見つけた。
広告をタップして通販サイトにアクセスしたところ、定価約 28 万円の海外の有名ブランドのバッグが約2万円で売られていた。
通販サイトには大手百貨店のロゴマークが表示されていたので信用して、氏名、住所、電話番号、メールアドレスを入力して注文した。
支払い方法は代金引換しか選択できなかった。7日以内であれば返品可能と記載されていた気がする。
注文後に、注文完了メールが届かなかったため不審に思い、大手百貨店のホームページを確認したところ、偽通販サイトについて注意喚起されていた。
インターネットで検索すると、同様の偽通販サイトのトラブルの情報が見つかった。
どうしたらよいか。

「相談事例から見る特徴と問題点」
・偽通販サイトには百貨店のロゴマークや名称が掲載されている。
・百貨店の支店等が閉店することを理由に高級ブランド品を大幅な割引価格で販売するとうたう広告がきっかけになっている。
・偽通販サイトで注文したら偽物の商品が届いたケースがある。

「消費者へのアドバイス」
・百貨店が通販サイトで高級ブランドのバッグや腕時計を 80~90%OFF などの大幅な割引価格で販売することは通常ありません。
 このような場合は百貨店の名称をかたった広告や偽通販サイトの可能性が高い。

・百貨店のロゴマークや名称が掲載された通販サイトでも偽通販サイトの可能性があります。
 商品を注文する前に販売サイトを隅々まで確認しましょう。

・広告や偽通販サイトには、百貨店の支店や免税店が閉店することを理由に大幅に値引きする旨が掲載されている場合があります。
 百貨店が支店や免税店を閉店することは事実でも、それを口実に消費者を信じ込ませようとする手口の可能性が高い。

・広告や偽通販サイトの表示に惑わされず、あやしい広告はタップ(クリック)しない、あやしい通販サイトには注文しないようにしましょう。
・代金引換で宅配業者に代金を支払って商品を受け取ってしまうと、後で商品が偽物だとわかっても宅配業者からの返金は困難です。
・不安に思った場合や、トラブルが生じた場合は、すぐに最寄りの消費生活センター等へ相談してください。

「相談窓口」
・消費者ホットライン「188(いやや!)」です。
 (これは市町村や都道府県の消費生活センター等をご案内する全国共通の3桁の電話番号です。)
・お住いの市区町村の消費生活センターにご相談ください。

悪質業者は次々と新しい手口を考えて大事な財産を騙し取ろうとしています。
普通に考えて極端に安価な商品などは慎重の上にも慎重に検討してください。
そして、悪質業者に大事な財産を騙し取られないように十分注意していただきたいと思います。


皇帝ダリアの伝説

2021-12-02 | 

今、あちらこちらで皇帝ダリアが花を咲かせていますね。
皇帝ダリアは短日植物なので、日が短くなる9月以降に花芽ができ、11月下旬から霜が降りる頃まで花を咲かせますが、その皇帝ダリアが菜園仲間のH氏の畑に咲いています。
今日はダリア界の王様といわれる「皇帝ダリア」とその伝説について調べました。

「皇帝ダリア」
皇帝ダリアはキク科の多年草で、別名を「木立ダリア」「帝王ダリア」と言います
原産地はメキシコで、日本には江戸時代末期の1842年(天保13年)にオランダ人によってもたらされたと言われています。
草丈は高く、大きいものでは4~5mになり、枝は放射状に分枝し、花茎の先端にピンク色の大輪を咲かせます。
茎の直径は3㎝くらいですが、大きくなると10㎝くらいまでの太さになり、1株で100個以上の花をつける木もあるということです。

・H氏の畑の「皇帝ダリア」です。


「名前の由来」
名前は学名の「Dahlia imperialis(皇帝のダリア)」からで、学名の「Dahlia(ダリア)は、スウェーデンの植物学者アンデシュ・ダール(1751年~1789年)の名前に由来しています。
他にも、ダリアの中でも草丈が高いので、その貫禄のある姿から「皇帝」と名付けられたという説もあります。



「皇帝ダリアの伝説」
皇帝ダリアには有名なナポレオンの妻ジョセフィーヌの逸話があります。
ジョセフィーヌは、その頃はまだ珍しい花だったダリアをキレイに咲かせたことを自慢するために、パーティーを開いて貴婦人達に見せびらかしていました。
そんなジョセフィーヌの自慢のダリアを「譲って欲しいわ」とお願いされても、誰にも譲りませんでした。

独り占めをしているジョセフィーヌを気に入らない貴婦人が、知り合いの貴族に頼んでジョセフィーヌの庭師をお金で丸め込み、球根を盗ませました。
球根を手に入れた貴婦人は、自分の庭でもキレイなダリアの花を咲かせたのです。
その事を伝え聞いたジョセフィーヌは庭師を解雇しました。
それにとどまらず、自身もあれほど好きだったダリアには見向きもしなくなったということです。

「余の辞書に不可能の文字はない」
ジョセフィーヌは自慢のダリアを守るためには、ご主人に相談すればよかったですね。
何せ!「余の辞書に不可能の文字はない」というナポレオンが御主人ですから。

この有名な言葉については、次のように言われています。
フランスの皇帝ナポレオンは、当時の副官であったルマロワ将軍にあてた手紙に、「君は私に『それは不可能です』と書いてよこした。しかし、そんな言葉はフランス語にはない)」との一節があります。
この「フランス語」が、日本では「予の辞書」に変化して定着したということです。