ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

利己的人間

2005年12月01日 | これも自分あれも自分
12月になりましたね。今日はずいぶんと寒かった。ぐんと冬に近づいた感じ。
そんな中、夫のおかかえ運転手生活も、今朝で終了!「おつとめ、お疲れ様です。」と言い、警察署から家まで送った。ふぅ~、長かったぜい、1ヶ月。狂いそうだった。

人のために何かをする・・・。
何かできるのも、誰でもかれでもにできるわけではないことに、気づいた。
その人のためにすることでも、仕方ないやん、という気持ちの中でするのは、とっても苦しくなってくる。長続きしない。あああ、苦しかった・・・。

私の子育ても、いろいろくねくね、曲がったり、間違ったり、震えたり、泣いたり、後悔したりしながら、この文字を打っている今も、進んでいっている。エリーは、片方のおっぱいに吸い付いたまま眠っている。

私は、優しい人間ではなく、器のちっちゃい、ちゃちな人間だ。
ただ、正直なだけだ。
正直すぎて、バカみたいな時がたくさんある。
舅にも言われたことがある。「あゆみさんは、率直だ。」と。多分、いい意味でも悪い意味でも、ということだと思う。そう、嘘をつくのは嫌だし、ごまかすのも嫌だから、はっきり言ったまで。「一緒に住まんほうがいいんだろうなぁ。」という集との言葉に、「一緒に住むと、まぁいろいろ問題は出てくるんでしょうね。自分の親とでさえもそうですから。」
・・・そう言われた舅は、世辞でも言って欲しかったかもしれない。その気持ちや空気も感じてはいる。感じてはいても、あえて言わない。言えない。
私はとっても正直で、そして自分のことがかわいくて、自分の利益に対して貪欲だから。そ、利己的なのだ。どこまでも。どこででも。家でも。外でも。
そんな私は、きっと、いつかは独りぼっちになる、そんな予感もする。予感だけではなく、心のどこかで、いつでも独りになれる心の準備だけはしておこうと思っている。何かしらの不具合が生じた時、自分の行きたい道とどうしてもそぐわなくなった時、どうしよう、ではなくて、自分でどうにかしようと思いたいから。自律していたいのだ。
そうだなぁ、その時が、しわしわのおばあちゃんだったとしても、そんなに強く思えるかは、不安だけど・・・。まだまだ青いな、私も・・・


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