長女のサーヤに、ある本をプレゼントした。
その本の名は、「雨がふっても・・・」田村みえ著
何かと我慢させられることが多い長女。
何かと自分のせいにさせられて、その場をしのがされている長女。
何かと父や母の顔色を見て察して行動せざるを得ないでいる長女。
何かと用事を言いつけられる長女。長女だって、やっていることがあるのにね。
何かと、何かと。
そして、いつも泣けずに、泣くと制せられ、うんざり顔を向けられ、居場所がなくて自分の部屋で声を殺して泣いてくる長女。
学校と家の往復と、家での妹の逆襲、そして母からの叱咤に、独りになりたいと心の中で思っているであろう長女。独りになりたいと思うのは、母も同様で・・。
そんな彼女を、思いっきり甘えさせてあげられる器量も、時間も、心の余裕もないまま、何年も過ぎていく。次女エリーはますます自己を確立していき、思うようにはならなくなって、ただおっぱいが欲しくて泣いていた頃よりも、放っておくことが困難な状態になってしまった。こんなんだったら、もっとエリーが小さいときに、サーヤに関わってあげていたらよかった・・・。いまさら、なのですが。
でも、今からでも遅くないかも!?
そんな時に、ふと目にした本。イラストの可愛らしさと、この優しい黄緑色の装丁に惹かれた。いつもなら、この手の本には手は伸ばさないのに、この時だけは、なんだろう?と、何気なく手に取った。
中を読むうちに、私の心の中が書いてあることに驚いた。
そこにあるのは、私の気持ちだった。
私の、サーヤやエリーに対して思う気持ち。
私の、両親や義父母や兄弟や義姉妹に思う気持ち。
私の、友だちに思う気持ち。
私の、出会った人たちに抱く気持ち。
「ドアはあけておくからね
キミがいつでも 帰ってこられるように」
これを読み聞かせをした後、サーヤは号泣した。
「いっぱい泣いていいんだよ。サーヤの頑張り、ママは知ってるよ。
サーヤがいつも我慢してること、ママ気づいてるよ。
たくさん、我慢してきたね。一生懸命だったね。
でも、いい子でいることないからね。いっぱい泣いていいんだからね。」
サーヤの背中をなぜながら、抱きしめながら、私の気持ちを言っていた。
サーヤはサーヤのままでいいんだよ。
ほんとうに、心の奥から、そう思うよ。
「なのに、いつもママはダメだね。ママ、悪いよね。」と言うと、
「ママはちっとも悪くなんかない!!悪くなんかない!!!」と叫んで、また泣き出した。
あ、思い出す。
私も、自分の産みの母親が家出をした時に、毎回思ってた。「ママが悪いんじゃない。私が悪い子だからなんだ。」って。「私がいい子になったら、ママは帰ってくるんだ。」って。離婚して、もう永遠にこの家には戻ってこなくなっても、「私が悪い子だったからだ。いい子になれば、帰ってくる。」って、信じてた。
幼い子どもは、全面的に親を信じている。
親が悪いだなんて、思ってもいない。思いもよらない。
親がすべて。
親のすべてが正しくて、親そのものが愛のあり方そのもの、なんだ。
母親が、母親自身のことを否定してはいけないのだ。
母親自身を否定すること=子である自分を否定すること=不安・不安定になるのだ。
母が、下を向いていてはいけない。
今朝起きてきたサーヤが一言。
「昨日いーっぱい泣いたから、なんかすっきりしてるぅ。」
その一言で、ママは癒される。
この本を購入したのは、サーヤに聴かせてあげたかったのと、ある友だちの高校生に贈りたかったから。
自分の行くべき道を見失う時、夢と現実の狭間に陥る時、私にもありましたから。ちょうど、高校生の時が、第1発目でした。
今も、見失いそうになるけれど、でも、夢見る姿はぼんやりとベールに包まれてではあるけれど、見えてはいるから、そんな私よりも、貴女へ・・・。
その本の名は、「雨がふっても・・・」田村みえ著
何かと我慢させられることが多い長女。
何かと自分のせいにさせられて、その場をしのがされている長女。
何かと父や母の顔色を見て察して行動せざるを得ないでいる長女。
何かと用事を言いつけられる長女。長女だって、やっていることがあるのにね。
何かと、何かと。
そして、いつも泣けずに、泣くと制せられ、うんざり顔を向けられ、居場所がなくて自分の部屋で声を殺して泣いてくる長女。
学校と家の往復と、家での妹の逆襲、そして母からの叱咤に、独りになりたいと心の中で思っているであろう長女。独りになりたいと思うのは、母も同様で・・。
そんな彼女を、思いっきり甘えさせてあげられる器量も、時間も、心の余裕もないまま、何年も過ぎていく。次女エリーはますます自己を確立していき、思うようにはならなくなって、ただおっぱいが欲しくて泣いていた頃よりも、放っておくことが困難な状態になってしまった。こんなんだったら、もっとエリーが小さいときに、サーヤに関わってあげていたらよかった・・・。いまさら、なのですが。
でも、今からでも遅くないかも!?
そんな時に、ふと目にした本。イラストの可愛らしさと、この優しい黄緑色の装丁に惹かれた。いつもなら、この手の本には手は伸ばさないのに、この時だけは、なんだろう?と、何気なく手に取った。
中を読むうちに、私の心の中が書いてあることに驚いた。
そこにあるのは、私の気持ちだった。
私の、サーヤやエリーに対して思う気持ち。
私の、両親や義父母や兄弟や義姉妹に思う気持ち。
私の、友だちに思う気持ち。
私の、出会った人たちに抱く気持ち。
「ドアはあけておくからね
キミがいつでも 帰ってこられるように」
これを読み聞かせをした後、サーヤは号泣した。
「いっぱい泣いていいんだよ。サーヤの頑張り、ママは知ってるよ。
サーヤがいつも我慢してること、ママ気づいてるよ。
たくさん、我慢してきたね。一生懸命だったね。
でも、いい子でいることないからね。いっぱい泣いていいんだからね。」
サーヤの背中をなぜながら、抱きしめながら、私の気持ちを言っていた。
サーヤはサーヤのままでいいんだよ。
ほんとうに、心の奥から、そう思うよ。
「なのに、いつもママはダメだね。ママ、悪いよね。」と言うと、
「ママはちっとも悪くなんかない!!悪くなんかない!!!」と叫んで、また泣き出した。
あ、思い出す。
私も、自分の産みの母親が家出をした時に、毎回思ってた。「ママが悪いんじゃない。私が悪い子だからなんだ。」って。「私がいい子になったら、ママは帰ってくるんだ。」って。離婚して、もう永遠にこの家には戻ってこなくなっても、「私が悪い子だったからだ。いい子になれば、帰ってくる。」って、信じてた。
幼い子どもは、全面的に親を信じている。
親が悪いだなんて、思ってもいない。思いもよらない。
親がすべて。
親のすべてが正しくて、親そのものが愛のあり方そのもの、なんだ。
母親が、母親自身のことを否定してはいけないのだ。
母親自身を否定すること=子である自分を否定すること=不安・不安定になるのだ。
母が、下を向いていてはいけない。
今朝起きてきたサーヤが一言。
「昨日いーっぱい泣いたから、なんかすっきりしてるぅ。」
その一言で、ママは癒される。
この本を購入したのは、サーヤに聴かせてあげたかったのと、ある友だちの高校生に贈りたかったから。
自分の行くべき道を見失う時、夢と現実の狭間に陥る時、私にもありましたから。ちょうど、高校生の時が、第1発目でした。
今も、見失いそうになるけれど、でも、夢見る姿はぼんやりとベールに包まれてではあるけれど、見えてはいるから、そんな私よりも、貴女へ・・・。