八戸に、“八戸子育てメイト”さんが300余人も登録していて、
各地域や市内で行われる子育てサロン等で活躍されている。
これは、国から設置要請のある「ファミリーサポート」制度の中のサポーターの方とは違う。託児をする方々ではなく、特に有資格者というのでもなく、市内に住む育児を経験した一般の方で、サロン運営に携わりつつ、子どもと保護者へいろいろな方法で子育て支援をする方たちのことだ。
八戸の子育てサロンは、市内に20数箇所ある。
そのどれもが、月に1度ないしは2度開催されている。だから、週に何度かは、どこかの地域でサロンが開かれているということになる。
サロンは、たいてい10:00~12:00で、手遊びをしたり、工作をしたり、ゲームをしたりして過ごす。すべて親と子とペアでする遊びを教えてくれる。
途中、おやつタイムがあるので、会費はそのおやつ代として100円だけ。
こんなにいろんな所でサロンが開かれていると、行動力のある親子にはとってもありがたい。
「今日は○○公民館にいこう!!」
「あさっては、△◆センターだね!お友だちも誘おう!!」
そして、近くのサロンにだけ行く人にとっても、
「今月は、○日に“キッドビクス”があるから、行こうね。」
と、月に1度のサロンを楽しみにできる。近くのサロンだと、いつも会う顔ぶれに会えるので、それが何よりも安心する。
私は、とっても今出不精だ。転勤して10ヶ月が過ぎた今でも、幼児を抱えての買い物やら外出やらには、手間がかかり、朝の起きる時間にもあたふたしている毎日だ。
こんな状態だから、誰か人に会うという日も少ない。ということは、子育ては私一人で(当たり前のこと?これが当たり前なのか?核家族だし、転勤族だから当たり前なのか。。。)担っている。夫の帰りは遅く、また疲れた体に育児を背負わせるのは躊躇する。子育て、タイヘンなことばかりではないけれど、タイヘンな時はすんごくタイヘンで、叫びたくなるほどだ。
そんな私にとって、各地で催される八戸の「子育てサロン」は、足を運ぶことが困難だ。いちいち「今日はここの日。来週の何曜日があそこ。」って、チェックするほど細かい性格でもないので、地域のサロンに月に一度出かけられたらいいほうだ。
しかし、だ。
その月に一度のサロンには、だいたい小学校のPTA委員会があって、この10ヶ月の内で、たったの一度しか行けていない。そこで出会った、感じのいい親子に、それ以降一度も会えずじまいだった。
でも、そのサロン。子育ての大先輩たちが5名以上はいて、参加者よりも多くいて、親身に人の話を聞いてくれたり、子育て世代の私たちが話している時は、後ろに下がって見守ってくれている。とても温かで和やかなサロンだった。とってもいいものを持っているのだ。みなさん。
これだけの財産がありながら、なぜ常設のサロンが開けないのだろう??
それが、私の今日の「ん?」だ。
八戸市内には、「子育て広場」というフリースペースもある。
福祉公民館の中にある1室を、子育て中の親子のために空けている、じゅうたん張りで15畳はあるかと思えるほど広い部屋だ。壊れていたり、汚かったりするが、おもちゃもある。しかし、そこに行っても、誰もいない。誰かスタッフがいるわけでもなく、利用者と出会うこともない。いつも貸切状態なのだ。
何か育児サークルが来ているときに行ったら?誰かしら来てるわよ。と薦められたが、私の求めているものと違う。
親子で何かをする場が欲しいんじゃない。
親子でお歌を歌う時間が欲しいんじゃない。
そういうのは、毎日していることだもの。毎日毎日飽くことなく繰り返される日常の延長をするために、私は居場所を求めているのではない。
あんないい人材と、あんないい場所があるのに、それがうまくジョイントされていないではないか。なんと勿体ないことか!!
この二つを、どうにか結びつけることができないのだろうか?
300余人もいる子育てメイトさんの、すばらしい人柄を、この素敵な公共の場で発揮することができないのだろうか?
どこかかみ合っていない、どこかずれている、そんな風に思うのは、私だけだろうか?
あああ、辛口。愛ある、ね。
各地域や市内で行われる子育てサロン等で活躍されている。
これは、国から設置要請のある「ファミリーサポート」制度の中のサポーターの方とは違う。託児をする方々ではなく、特に有資格者というのでもなく、市内に住む育児を経験した一般の方で、サロン運営に携わりつつ、子どもと保護者へいろいろな方法で子育て支援をする方たちのことだ。
八戸の子育てサロンは、市内に20数箇所ある。
そのどれもが、月に1度ないしは2度開催されている。だから、週に何度かは、どこかの地域でサロンが開かれているということになる。
サロンは、たいてい10:00~12:00で、手遊びをしたり、工作をしたり、ゲームをしたりして過ごす。すべて親と子とペアでする遊びを教えてくれる。
途中、おやつタイムがあるので、会費はそのおやつ代として100円だけ。
こんなにいろんな所でサロンが開かれていると、行動力のある親子にはとってもありがたい。
「今日は○○公民館にいこう!!」
「あさっては、△◆センターだね!お友だちも誘おう!!」
そして、近くのサロンにだけ行く人にとっても、
「今月は、○日に“キッドビクス”があるから、行こうね。」
と、月に1度のサロンを楽しみにできる。近くのサロンだと、いつも会う顔ぶれに会えるので、それが何よりも安心する。
私は、とっても今出不精だ。転勤して10ヶ月が過ぎた今でも、幼児を抱えての買い物やら外出やらには、手間がかかり、朝の起きる時間にもあたふたしている毎日だ。
こんな状態だから、誰か人に会うという日も少ない。ということは、子育ては私一人で(当たり前のこと?これが当たり前なのか?核家族だし、転勤族だから当たり前なのか。。。)担っている。夫の帰りは遅く、また疲れた体に育児を背負わせるのは躊躇する。子育て、タイヘンなことばかりではないけれど、タイヘンな時はすんごくタイヘンで、叫びたくなるほどだ。
そんな私にとって、各地で催される八戸の「子育てサロン」は、足を運ぶことが困難だ。いちいち「今日はここの日。来週の何曜日があそこ。」って、チェックするほど細かい性格でもないので、地域のサロンに月に一度出かけられたらいいほうだ。
しかし、だ。
その月に一度のサロンには、だいたい小学校のPTA委員会があって、この10ヶ月の内で、たったの一度しか行けていない。そこで出会った、感じのいい親子に、それ以降一度も会えずじまいだった。
でも、そのサロン。子育ての大先輩たちが5名以上はいて、参加者よりも多くいて、親身に人の話を聞いてくれたり、子育て世代の私たちが話している時は、後ろに下がって見守ってくれている。とても温かで和やかなサロンだった。とってもいいものを持っているのだ。みなさん。
これだけの財産がありながら、なぜ常設のサロンが開けないのだろう??
それが、私の今日の「ん?」だ。
八戸市内には、「子育て広場」というフリースペースもある。
福祉公民館の中にある1室を、子育て中の親子のために空けている、じゅうたん張りで15畳はあるかと思えるほど広い部屋だ。壊れていたり、汚かったりするが、おもちゃもある。しかし、そこに行っても、誰もいない。誰かスタッフがいるわけでもなく、利用者と出会うこともない。いつも貸切状態なのだ。
何か育児サークルが来ているときに行ったら?誰かしら来てるわよ。と薦められたが、私の求めているものと違う。
親子で何かをする場が欲しいんじゃない。
親子でお歌を歌う時間が欲しいんじゃない。
そういうのは、毎日していることだもの。毎日毎日飽くことなく繰り返される日常の延長をするために、私は居場所を求めているのではない。
あんないい人材と、あんないい場所があるのに、それがうまくジョイントされていないではないか。なんと勿体ないことか!!
この二つを、どうにか結びつけることができないのだろうか?
300余人もいる子育てメイトさんの、すばらしい人柄を、この素敵な公共の場で発揮することができないのだろうか?
どこかかみ合っていない、どこかずれている、そんな風に思うのは、私だけだろうか?
あああ、辛口。愛ある、ね。